2019年05月15日

楠木正成について

 かつて私が歴史上好きな人物を三人挙げた覚えがある。
 菅原道真、張良、そして楠木正成である。
 三人に共通するのは「策士」というところだと思う。中でも張良は私に「私も参謀になりたい」とおバカな夢想を抱かせた人物で、これが諸葛亮ではなく張良だったのは、ひとえにさりげなさにある。諸葛亮はなんか私には目に見えて才気走った感がある。「は、この人すごい」と、よく考えるとすごいと気づかされる、そういうすごさがやっぱりいいな、なんて思うんだけど。
 なんで今回こんなこと書いているかというと、三人目に挙げている楠木正成なんだけど、いつだったかに私がライトな人間だからといって天皇崇拝をしているような勘違いをしている人がいた。
 違いますよ。
 楠木正成が好きなのは、まず郷土の英雄だから。
 楠木正成はうちの地方ではまず物心つく頃から祭り上げられていて神みたいな存在だった。子供の頃は間違いなく神様の一人だと思っていた。これが人間になったのが小学校三年ぐらいの時で、社会科で郷土史をやり始めるんだが、ここで歴史上の人物だと知るように至る。ここでは決して後醍醐天皇へ忠義を貫く忠臣とは教えられず、幼名、教育、地元の治水・分配事業や、いかにあの戦を戦ったかを教えられる。郷土史を学ぶ段が過ぎても、折に触れて正成のエピソードは社会の授業のどこかで出てきたり、生きていたらどこかで正成の話とすれ違ったりするのだが、大人になる頃にはそのゲリラ戦を通して「アイデアマン」ということがだんだんわかってくる。策士なんだよね。
 それで鎌倉方に勝利する一ルートを築くわけだが、あの小さな田舎からよく時の政権を倒す一勢力になりえたものだと感心する。
 そしてその死に際を、後醍醐天皇への忠義故にあえて裏切らず後醍醐天皇方につき、「天皇家への忠臣」として近代持ち上げられるのだが、私はその解釈は違うと思う。
 だって天皇家への忠臣なら、天皇になる人にひたすら忠義をつくさない? 後醍醐天皇の立場が危うくなり、廃される状況になれば、ちょっと様子見るよね。
 そうではなく、正成の場合は、後醍醐天皇という一個人への忠義だと思うのだな。
 忠義という言い方も何かふさわしくない。そりゃ立場上は忠義になるけれども。
 簡単に言えば、私が思うに正成は、後醍醐天皇が好きだったのだな。恋愛のそれではなく。
 もちろん前の政権の初期、鎌倉方についた人たちが、後どんどん滅ぼされていったことを考えれば、たとえ足利方に寝返っても、後一族ごと滅ぼされ、さらに天皇を裏切った逆賊という汚名まで着て歴史に名が残ることも想定し、そういう計算も働いていたかもしれない。でも彼が後醍醐天皇から離れなかった理由で一番大きいのは、後醍醐天皇とすごく気が合ったからではないのか。不敬だとののしる輩を恐れずに書くならば、親友だった。
 で、この、気が合ったからというのを想ったのは相当後になってからで、後醍醐天皇の陵墓に行ってから。意外だった。最初は人里に向かって作られているのかと思っていた。なるほどな、こういう場所がいいんだと思うと、正成とは気が合っただろうなと思ったものだった。
 気になる人は一度奈良県の吉野山にある後醍醐天皇陵墓と、千早赤阪村の楠木正成誕生地駐車場から西の景色を眺めてごらんなされ。城跡がいくつかあるから、それをめぐるのもいいかもしれない。
 私の中では、正成が「友のために命を捨てた」。
 男の友情っすよ。
 その潔さがやはり正成の気持ちのいいところ。
 歴史の解釈はいろいろあろうし、そんな感覚的なこと言われても…と言われるかもしれないけれど、私は歴史学者でもなんでもないし、忠臣としてあがめ奉られた正成も知らず、それどころかゲリラ戦で命を失おうとも、今もなお村人に「楠さん」と命日だったか生誕日だかに偲ぶ祭りを開かせる、知っているのはそういう人物像。あの小さな山村から、時の政権に大打撃を与えたアイデアマン、気概、男気。
 世間でなんとなく知られている正成と、私の中の楠木正成は違う。
 東京の皇居近くに忠臣として像があるそうだけど、むしろその「忠臣」の方が違和感を覚える。「忠臣」で片づけられると激しくイラっとする。

 私も左派は十把一絡げにしがちだけど、右派にもいろんな右派がいる。
 憲法改正だって、いつまでも日本国内に多く米兵を駐屯させて、騒音と事件に悩まされるのもいかがかと思うのと、いざとなったら日本国民のために命を捨てるかもしれない自衛隊員に、いつまで「違憲だ」と言って攻撃するのかと思うから改正賛成なのであって、別に戦争したいわけではない。「教え子を戦場に送るな」と掲げている教職員組合の人達も、自分の教え子が攻撃の矢面に立った時、「やめなさい、もうみんなで死にましょう」なんて無責任なことがいえるのかと思う。(だいたいあの人たちはこちらから戦争に行くことしか考えてない。実際は襲撃の可能性の方が高い。武器を持たなかったおかげで攻撃されなかったとかまだ冷戦時代の状況と混同している。)特に沖縄で米兵による暴行事件が起きるのだって、妻や恋人と長く離れ、恋人さえも作るのが難しい状況だから起こるのであって、これが遠くても二時間で済む距離の日本人ならまた違ってくるはず(要衝故に兵の駐屯はまぬかれないという事実を前提で)。いつまでもアメリカに守られて、いつまでも国として自立しないのはいかがなものか。それに憲法改正すれば、もしかしたら弾道ミサイル(核爆弾搭載のも含めて)を無化できる人工知能による「弾道ミサイル方向転換ロボット」とか作れるかもしれないじゃない。研究費が増えれば、別のところに応用も可能になる。だいたい今携帯電話が普及しているそもそもが誰のおかげかというとアメリカ軍のおかげで、確かに負の側面は大きいけれど、技術発達に一役買うのも事実。核に勝つのは核ではなく、核を無化する技術と政策だと思う。

 ただ人を殺すから戦争をしたらいけないのではなく、なぜ戦争をしたのかからをまずきちんと教え、二度と繰り返さないための教育をすべきじゃないのか。こんな食糧自給率も低く、資源もなくてエネルギー革命も後手後手な国で、いざただ海を囲まれただけでも、攻撃するか飢え死にするか侵略されるしかない状況を作っている現状、そしたらまたあの戦争の二の舞じゃないか。いざとなったらどんなに平和教育されていても自分が死なないために家族が死なないために発起してしまうものだ。
 戦争を美化して、死ぬ時の悲劇をお涙ちょうだいで売りにする作品も、誰も非難しない(私は嫌いだ)。左翼がそういう作品を非難しないのも、不思議なことだ。あの人たちは、なんのために何と戦っているのだろう。武器さえ持たなければ、最悪の事態を回避できると思っているのだろうか。最悪の事態に追い詰められたら一か月と持たず全部ひっくり返してしまう。人というのはそういうものだ。
 楠木正成のように、信念と心中する人はまずいない。
posted by さきはなきよら at 13:00| Comment(0) | 日々雑感

2019年05月01日

NHKスペシャル「日本人と天皇」

 新天皇陛下、ご即位おめでとうございます。

 ここ近年、こうした当日にブログを書くことはないんですけど、昨日、NHKスペシャル「日本人と天皇」を見ておりまして、あまりに重いので、ここに書かせていただこうかと。
 以下天皇家に関する記述がありますが、敬称は最低限に控え、敬語もなるべく略しながら記述させていただきます。ややこしさを避けるために。

 夜の8時頃でしたか、何気なく見始めて、「え?こんな時にNHKスペシャルなの?」と思ったのですが、最初は大嘗祭がどんな儀式かという解説だったので、後学の助けにとふんふんと見ておったのですが、後半が……重い。
 後半は天皇の家系の話で、特に重くなったのが戦後すぐに三笠宮が皇室典範改正についての案を提出され、あまりの達筆に驚いたのだけど、その中に天皇は女性天皇を想定すべきということが書かれていた。
 三笠宮は昭和天皇の弟宮にあたり、ああ、なんと先進的な考え方をされ、かつ聡明な方かと思った。そして、その後、敬宮愛子内親王ご誕生に及び女性天皇を認めるかについてつい十数年前、このお世継ぎにかかわる皇室典範改正について有識者会議がもたれたが、そこで彼らが気が付いたことに、江戸時代初めから現代まで、側室以外から男子が誕生したのは、江戸時代に一人、そして昭和天皇と上皇(放送時天皇)陛下だけであると。
 従って側室制度を廃止した現代であっては、このまま男系男子を維持することは難しく、女性、女系天皇を考えなければいけない――、ところがこれが秋篠宮家に悠仁親王が誕生して議論が停止、棚上げされてしまったということであった。
 さらに番組は、晩年の三笠宮の言葉として、現代にあっては女性天皇が難しいと。なぜならマスコミに追い回されるからお婿に来てくれる人がいないであろうと。
 ここで番組は終了するんだが、そこで終わるなーっと叫びそうになりながら、ニュースの後は爆笑問題で、今のNHKスペシャルは一体なんだったんだろうと、モヤモヤしながら改元を迎えた。
 思うだけど、この三笠宮の危惧って、お婿さんだけだろうか。
 お嫁さんでも同じじゃないですか。
 雅子皇后がお嫁にきてそして病気になりながらもここまでこれたのも、たぶん外務省のキャリアの中で働いてきた強さと、その中に生きる男性たちに比べると特に際立つ天皇陛下の人柄ゆえではないかと思う。キャリア公務員の競争社会の中に生きていると余計に際立ったのではないかと思う。
 でもね、他の人だとどうなの、と思うじゃない。
 三笠宮はマスコミだけを挙げたけど、皇室という独特の文化の中で生きていかないといけないというのもあるだろう。しかし後者は努力すれば変えられるかもしれない。でもやはり三笠宮の指摘通り、前者はどうなの。
 この辺はマスコミ諸氏に問うべきところだけれども、三笠宮の発言に従うなら、マスコミのせいでお嫁さんもお婿さんも来ないように聞こえる。女帝ないし女東宮に全力で守りますからと言われても、お婿さんは全力で守られますとは言えないかもしれない。

 どうなの?
 天皇制なぞ滅びてもいいという向きもあろうが、126代も続いた、世界で一番古い、しかも家系図が奈良時代からほぼ完璧に残っている皇族を終わらせるって相当勇気と覚悟が要らない?その皇統を維持するという前提で行くと、ただ女帝、女系を認めるだけでは足りないような気がするんだけど。この番組の中で同じく旧皇族に、皇族復帰してもいいかというアンケートをかつて取った時、みな一様に「お答えは控えさせていただきたい」とのこと。ただあのテレビに出ている竹田さんを見る限りでは、天皇家への愛と誇りが強い方もいらっしゃるのではないかと思うのであるけれども。
 問題はどこまでの復帰かということにつきるような気もするけれども、このままでは最悪の事態が重なったら本当に絶えてしまうということもありえる。
 これはたいへんデリケートな問題で、人をもののようにも扱いかねない。つまり人道的な問題にも抵触しかねない。そうなるなら、皇族の意志なくして物事をきめてしまってよいものか、いや、絶対にそれはいけないだろう。

 悠仁親王一人、男系男子が生まれたからそれで大丈夫なのか。
 敬宮愛子内親王が女性宮家を創設すれば、それで構わないのか。
 旧宮家が復活すれば、その時また「税金ガー」という人たちが出てこないのか。
 無礼を百も承知でかけば、その皇統自体が人間国宝、生きる世界遺産ともいえるかもしれない。
 本当に難しい問題。藤原家も源家も足利家も徳川家も決して滅ぼさなかったこの皇統を、民主化されたこの時代の我々がどう判断するのか。

 ナレーションは石澤典夫だった。
 重かった。
 ただ書いていて思ったことは、やはり、天皇家に対するマスコミの在り方をマスコミ自身が考え、またこの先のことについては、国民の代表・有識者のみならず、人道的見地から、当事者(代表だけでなく)も加わるべきではないだろうかということだった。

 平成31年4月30日夜8時に放送されたNHKスペシャル、本当は視聴者に何を投げかけたかったのだろう。
 とりあえずこれゆえに、改元で全然浮かれてないわ、私。 
posted by さきはなきよら at 19:33| Comment(0) | 日記

2019年04月28日

新元号に思ったこと

 やっぱり5月1日に「あけましておめでとうございます」って言うの?
 4月30日に除夜の鐘がなったらどうしよう。
 ちなみに四天王寺では御代代わりの護摩祈祷をするのだそうで。
 今上が退位し、東宮が即位され、御代代わりに伴い、改元が行われる。
 元号は「令和」だそうで。

 遅ればせながら。
 もう今日すでに「れいわ」と入力すると一発変換できるようになっている。すごいねえ。
出展は『万葉集』だそうで。梅の花三十二首の序文、おそらく大伴旅人が書いたであろうというところから名づけられたのだそう。「初春の令月にして、氣淑く風和ぎ…」。
 既に知れ渡っているところをだらだらと書いても仕方がないし、私は『万葉集』が専門でもなんでもないし、まあ、高校の先生程度の知識しかありません。もしかして間違えているかも、と、びくびくしながら(嘘ばっかり)授業でも説明しています。
 やはり万葉集といえば、旅人の息子、家持の巻末の歌。

 新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)

 新春に雪が降っていて、その雪のようにますますよい事が積もっていきますように、なんて説明して、今までこんな大きな歌集は日本になかったが、有志によって(つまり国から収集の資金も出ず)初めて作られ、その歌集の最後がスタートの歌で始まってる、これが憎いよね、これから日本の文化がますます栄えるようにって祈りをこめたんだよーとか適当なことを言って『万葉集』を説明する。そして教科書に載っている東歌や防人歌なんかも紹介するわけだが、おそらく日本で始めての大規模な歌集を作成するんだというプライドの元に作られたのだろう、と私は勝手なことを文献の確認もせずにべらべらとしゃべる。

 この「令和」が発表されるや否や、中国サイドから「元ネタ」は中国の書物だと指摘されたそう。いや、知ってるでしょ、選んだ学者。もし噂通り中西進氏(もしくはそのクラスの学者)なら、そんなこと知らないはずがない。日本の古典文学全集の注釈を中国の学者は見たことがないのね、と思い、その中国人の意見を紹介する日本人も、おそらくこういう系の書物を手に取ったことがないのだろうと思った(なんか寂しい…)。高校の時にさ、教科書の下の方にも書かれてるんだけど、「脚注」、それに日本の文献であろうと中国の文献であろうと、元ネタがあればちゃんと載せてあるんだよね。教科書の指導書にいたってはもっと詳しいよ。指導書は先生しか見れないとしても、高校を卒業して古典の教科書できちんと古典を読んだ人なら、注釈に何が書いてあるか読んだことあるんじゃないの?
 有名どころでは『枕草子』の「香炉峰の雪」のとことかね。
 ネットで、「万葉集だけど、ここの部分漢文なんだ」というコメントがあったりして、それを書いている人はもしかして、『万葉集』の時には平仮名カタカナがなかったということも知らないのではないだろうかと思った。 
 これでいいのか、日本。
 日本には表記文学において何度も革命的な転換点があったが、『万葉集』は最初のその一つ。その後に、平仮名片仮名の発明、紀貫之による平仮名文化の革命、女流文学の隆盛、歌論や同時代作家への作品批評、藤原定家による保存、江戸期の文法的研究、明治の言文一致運動等大きな転換点を経ながら日本の表記文学の歴史は動いてきた。(こんなことも知らずに表現のどうのと生徒に書くことを強要したらチコちゃんに叱られるんじゃあるまいか)。おそらく表記文学においての革命の端緒がやはり『万葉集』かと思うんだけど、私もその筋の学者ではないから端緒かどうかとまでは言い切れない。(それ以前に個々の歌集はあったかもしれないし。)
 でも『万葉集』の時に、現在の平仮名が存在しなかったのは知っておいてほしいかも。

 つまり表記方法が漢字漢文しかなかったのだから、部分漢文になるのは仕方がない。
 それでも万葉仮名で日本語を表記しようとした努力はすごいと思う。
 平仮名の発明によって最初の正式な言文一致がなされたんだろうな。
 さっきのNHKの番組でネットの普及で小さな個人の声をネットで発信できるようになった、それは画期的革命だとか言ってたような気がするけど、明治初期にも似たようなことなかったっけ。文字だけでなく。マスメディアにいたら知ってると思うけど。それが一部の特権階級のものにだんだんなっていったかと思うんだ。

 そして『万葉集』後、『古今和歌集』という和歌集が編纂されたが、それは、『万葉集』なしでなしえたか。そしてこれを端緒として後に他の和歌集が編纂されていくわけだが、(しかも国の事業として)、現代にして思えば家持の詠んだ歌も、詠んだ甲斐があったねって感じだよね。
 …とみてくると、今まで漢籍を元に作成された元号が、国書を元にする最初の元号として『万葉集』から選ばれたのは、非常におあつらえ向きではないかと思うのだけど。
 漢籍から国書へ、にあたって漢字の音を借りた万葉仮名を使用した、現存する我が国最初の大型歌集である『万葉集』を、しかもその部分、つまり中国の漢籍の部分が元ネタになった箇所を引いてきたんだけど、漢籍を踏まえながらも日本流に変換された部分をひいてきたというのが粋だねえと思っちゃうわけさ。だってこの記述の後に、みんなで漢詩を詠んだのではなく、似通ったシチュエーションで「日本の和歌」を詠んだんでしょ。しかも万葉仮名で表記した。
 元号が「漢籍から国書へ」へのリンクもさながら、この国の文化需要の起こりをも象徴しているようではないか。
  
 私も近代文学だから門外漢といえば門外漢なんだけど、もはやよその国にわたって、違う形に溶け込んだ作品に「元はうちだ!」とか言うのってどうなの?
 中国由来の梅の花の元、漢籍を思い浮かべながらも、和歌を詠んだという場面に意味があると思うんだけど。

 現代漫画の形式もアニメーションも元はアメリカじゃなかったっけ。
 私はガンダムフリークのアメリカ人が「元はうちだ!」なんて言うのは聞いたことがない。むしろディズニーなんてムニャムニャ…
 劣化コピーは非難されてしかるべきかもしれないが、そこにアイデンティティーが確立されていれば、もはやそれは別物だと思う。

 「令和」。深いねえ。粋だねえ。専門外の私でも感心しちゃったよ。
 オタクがオタクの知識の一部を、大っぴらに解説せず国にテレビで使ってもらってるってこういう感じかと生まれて初めて思ったわ。
 
 今上には申し訳ないが、「平成」は私にとっては残念ながらあまりいい時代じゃなかった。
 年の初めではないけれど、時代の初めに「いやしけ吉事」と祈りたいと思う。
posted by さきはなきよら at 23:44| Comment(0) | 日記

2019年04月21日

個人情報保護法違反の犠牲になり

 タイトル通り。個人情報保護法違反の犠牲になり。
 本年、常勤講師の話が来なかった。いや、正確にいうと一件あったけど、はあ?という遠い所。
 普通に、下記ブログ「ツイッターやめます@」で書いた個人情報保護法違反、ならびに、該当本人の噂ばらまきのせいだと思うわ。なぜかというと、そいつと仲間の噂ばらまき範囲からは非常勤でさえ話が来なかったから。
 つくづくと思い返せば、もう一人常勤の先生がいたんだけど、前年その先生の常勤枠がなくなると話が出て、結局それは撤回されたんだけど、その時も「とてもじゃないけど通えないところから電話かかってきた」と言っていたから、おそらく学校名と常勤講師というのだけが一人歩きしているんじゃないかと思う。そしてそいつの噂のエリア内からは全く電話がかかってこない。
 組合と管理職に多い体育教師のことをよく書いてなかったというのが原因かもしれないけど、はっきりいって別に間違えたことは書いてないし、自分が代表みたいな感じで、他の多くの人もそう思っているということを書いただけで、目の前に見えたからってやり玉に挙げるのはいかがなものか。しかも私のこの文章知ったのって違法に知ったんでしょ?
 厚かましい。
 で、その違法にというのを書いてから、前の学校の体育教師の「あたり」がなんとなく悪かったのが、全然態度が違ってきて、該当本人が学年主任をしている学年の耐寒訓練の時に、担当の体育教師が低姿勢でメンバーにご協力をとかいうもんだから一回頭にきて断ったんだけど、それでも一番手のかからないところを回してきた。本当厚かましい。
 こういう連中はまくときは大きな声でまいて、間違えていたら間違えていました、ごめんなさいということは大きな声で言って回らない。本当に迷惑極まりない。おそらく該当本人は全然反省してなくて、この事実が表に出ない事を祈ってると思う。それどころか、その個人情報保護法違反をここで書かれたことさえ「余計なこと書きやがって」と思っているかも。
 そういう態度だった。
 この該当本人は校内でもよくつかまらなくて、体育準備室におしゃべりに行き、生物準備室に居座り、たばこを吸いに外にでかけて、勤務中に他校の先生とやり取りをし、するから、学年主任をするということになったら週10コマじゃないと無理とか言い張ったんだと思うわ。夜は酒を飲みにいって、翌朝は朝つぶれて寝てる時間も必要なので、そりゃ10コマじゃないと無理でしょう。女を口説くのも忙しかったし、おかげで感想文は集めたなりで見てない、挙句の果てに卒業しちゃって捨てちゃった、わかるわかる。
 でもね、そのおしゃべりを違法に取得したネタで埋めるとか、しかも他人のことを、しかも外にまでまくってどういうことよ。
 こういうのをストーカーっていうんじゃないの?
 想ってない人を想っている妄想まいたのもこいつだと思うんだけど。

 で、今年はその遠い学校から来た非常勤と、私学の非常勤のかけもちをすることになった。収入激減なのでこいつに償ってほしいとさえ思っている。いつもの私だと形で返せないなら運気で返せとかいう。(ちなみに大阪南部だけどS野高校じゃないですよ。)

 で、今は週三日私学に行ってるんだけど、まあ私学って、本当にきれい。
 間二日の公立が廃屋に見える。
 それでも今度の公立学校は前の学校と比べて床とか貼りなおしてるので、前のとこよりきれいなんだけど、それでも廃屋に見える。机が違う、椅子が違う、壁が違う、何もかも違う。
 たぶん使われている机なんて大阪府下、工場の現場とかでしか使ってないんじゃない? 工場の事務におかれてる机椅子の方が美しいと思うよ。
 教育内容は同じで(私立学校によっては無償化のおかげでランクあがったものの、中にいる先生が同じなので進学率が公立よりも悪いところもあり、ということは偏差値ではなく進学率で学校は選ばないといけない)、教育環境は格段の差があり、おそらく情操教育という面では公立は絶望的。トップ校進学校は建て直されてるところも多いんだけど、せっかく建て直しても掃除の業者が入ってないのでやっぱりあちこち汚い。
 オードリー・ヘップバーンの「マイフェアレディ―」は上流階層の言葉を使えば上流階級の品や所作が身につくという説の実験実証を映画化したものというけど、それなりに美しい環境におかれれば、人間って品とか所作の美しさが変わり、考え方にまで影響するもので、
どれだけ成り上がりでも富裕層の家庭に育った子にはそれなりの何かが備わっているもの。公立高校はそれをすべて放棄しているようにさえ思える。
 それでまた、トイレは松井一郎知事が「大阪一汚いトイレ」と言われているので改装費を下したんだけど、それを他の修繕費に回してしまって、未だに廃屋のトイレのところ多数だし。(「大阪一汚いトイレ」って私が言ったんだ。きいているんなら他のところも聞き入れればいいのに。あいつ間違えてもビリーじゃない。)
 
 ただ今の二校とも職員室他静かだわ。前の学校みたいに教室で授業する声で準備室や職員室で話す教員が多数いたところが珍しいのかもしれない。私学の方などは最初の会議の時に大きな声で無駄話するなと注意が入った。やはり大学入試問題を解かないといけない教科の先生が管理職をしている学校は違うわ。今まで20数校回って、私学は非常勤の先生が教科を超えて隣同士で席を持ち、話をするのでいろんな学校の噂きくけど、本当にそう思う。そしてそうでない教科の先生が管理職をしている私学って軒並み進学率を落としている。
 それだけでなく、職員室で生徒の話をしていたら、遅れてきた生徒や保護者がきいていて、それが本人に伝わったケースもあるから重々注意するようにとまで付け加えていた。そうなのよ。でっかい声で生徒の話を普通にしてたもの、前の学校。でっかい笑い声は聞こえてくるし本当にうるさくって、私はよく静かに問題が解けたり教材研究できる場所を探しては流浪してたわ。
 
 しかしその廃屋のような校舎に、何かと無茶な状況が上から降りてきて、ああすればいいこうすればいいと書いても受け入れられない状況からすると、やはり公立はもう未来がないんじゃないかとつらつら思ってしまう。私学無償化を決め、定員割れを三年起こせば廃校と決めたのは橋下徹だけど、彼は自分の母校は安心安泰だと思ったんだろう。でも、今のベテラン層がはけたらその母校の教育を支える頭脳はいなくなるんじゃないかしら。その時にいるのはせいぜい3校目で、間に底辺で10年やったブランクがあるか、前任校がよくて中堅10年か。特に国語科がその状況で、数学の先生でさえ「国語はすべての教科の基礎」とまで言うのに進学校を経験したベテランがいない時代が来る(たぶんこの重みは座学の先生にしかわからない)。再任用をあてにしているかもしれないが、私の知る限りでは、人というのは給料に見合った仕事しかしない。トップ校だっていつ落ちるかわからない。それでなくても鍛えられていない頭脳はすぐ弱る。弱った頭脳は自分の忙しさと天秤にかけて、楽にできることを選択したがる。

 ちなみにまた「上の方の学校ばっかり行ってるね」と言われた。
 いや、何度も書くけど偶然なんだけど。
 同じ講師の先生に、依頼がきて断るのが嫌なら電話に出なければいいんですよ、と教えてあげたことはあるが、実行に移したことはないし。
 でもね、私の人生のトータルからすれば、それでも不遇だと思ってしまうんだけど。だってクレジットに入れられてれば、もっと別の道を行けてたはず。
posted by さきはなきよら at 19:54| Comment(0) | 日記

2019年01月21日

ツイッターやめます その2

 ツイッターやめます その2

 理由は二つあると書いて、前回はその一つ目を書きました。現物はこちらをご覧ください。

 ツイッターやめます その1
http://sakihanakiyora.sblo.jp/article/185386419.html?1547562491

 …この犯人なんですけどね、2013年にいた学校は2017年にもう一度当時の校長に声をかけられて戻ったんですけど、一番変だと思ったのは間三校に比してツイッターへの反応をする人が多い、さらに新しい人まで知っている感じで、確信をもってしゃべっている張本人がいると考えるのが自然だったんですよね。
 私の中では確信しているけれども、確認したわけではないので、推測でしかありません。
 K本さんがY田君にしゃべった時点で該当個人情報保護法違反が生きていて時効が成立していないことになり、当然確認するまで時効そのものが始動していないことにもなる。それは、Y田君も同じで、損害賠償請求の対象になりますかね。
 この仕事を離れて情熱が残っていたら事件化して該当校と府教委に請求しましょうかね。
 そもそも名誉棄損で告訴したH野さんが子宮の病気になり舌がんになり、私に百万円の示談金を支払い(彼女の収入とがん闘病中を考慮して当初の三分の一になったわけだが)、おそらくその後職を失ったのに対し、彼らが罪をおかしながら何の咎めもないのが私にはどうにも解せないというか不公平だと思う。

 さて、「前回の続き」が長くなりましたが、もう一つのツイッターやめます、の理由。
 1月6日のこと、「ゆきひめ」という短編集に入っている短編小説を読み返した、それがきっかけ、というか最終判断です。
 そしておおよその起こりは、さかのぼること12月14日(金)『ボヘミアン・ラプソディ』という映画を見たのですが、その映画を見てからクイーンのこと、知っていることを確認しまくる、調べまくるという日々が夜寝る間を惜しんでやってしまい、――当然この間もツイッターなぞはほとんどしておらず、その時に「なんで寝る間を惜しんでまで調べないかんねん」と自分でも思いながら、しばらくしてからふと気が付いた。
 私ってもともとこういう人じゃなかった?
 興味を持ったら調べまくるという。
 そして、そんなもやもやの中で、ある時学校の図書館に調べものをしに行きまして、そしたら、あるマンガが目についた。
 『紫式部日記』。
 紫式部の『紫式部日記』をマンガ化したもの。
 軽い気持ちで読みました。ところが、「なんだ…これは…まるで合わせ鏡を見ているようではないか…」とめまいを覚え始め、…そうよね、そうよね、物語オタク女子っていつの時代も似たようなものよね、そうよね、と思いつつ…それにしても似たようなところが多い。
 私は子供の頃から物語オタクなので、中学は書くことのウォーミングアップ、中学校を出たら本格的に創作活動を始めようと思っており、その高校に行く条件が「就職か進学かを選べて勉強に時間をとられなくてもついていける、創作活動ができる学校」という条件だった。
 「すべては創作活動のために。」
 だいたい当時思っていたのだが、女子なんて弁護士や医者になるならわかるけど、なんでゴールが同じなのに進学校に行くのかと。不思議に思って実際進学しようという子に「医者か弁護士になりたいの?」ときいたことがあり、そしたらそんなことはないと言われ、「じゃあなんでその学校に行くの?」と聞いたら変な顔をされた。
 私たちが高校の時だったか、大手企業の女性従業員が昇進に不当な扱いを受けると裁判を起こしていたため、我々の世代でもまだ無理だわ、なんて思っていて、そういう進学校に行く子が不思議でならなかった。
 とかいいつつも、私も勉強が出来てしまって結末として進学校にという話になったらいやなので(トップ校には親がいたし)、中学校入ったばかりの時どうやったら成績をとらずに済むかしらんと思い、そこで思いついたのが「授業をきかなければいいのよ」。きいたら頭に入るし、問題だされたら解いてしまうし。(こう書いたらおわかりかと思うけど小学校の時はそれぐらいよくできました。)
 紫式部のアホのふりしたというのもよくわかる。女子が賢くても仕方がない。
 でも創作の世界、読むのも書くのも手は抜きたくない。
 そして、勉強は手を抜き、そして、抜き過ぎた。
 もうかなり早くから大方志望校は決まっていて、上の条件に当てはまる学校(第一条件。すべては、創作の…)。
 さらに私は当時朝が起きられなかった。今でこそ甥たちは「起立性調節障害」などという診断名をもらって普通にケアされているが、当時はそんなものはない。近くて、場合によっては車で送ってもらえて、それでももしかしたら無理かもしれない。遠かったら二時間目まで全滅で出席日数が足りなくて……なんてことを自分の中ではいろいろ考えていて、周りの人は進学すればなんとかなるさあ、なんて思うんだろうけど、自分の中では全然自信はなかった。自分の寝起きの悪さからしてその学校しかどっちにしても行くのは無理だと思ったのがリアルな話。その学校でさえ一時間目が間に合わなくて、泣きながら近所のおばさんに送ってもらうことをよく想像していた。
 しかし高校はほぼ皆勤だった。
 ちなみに勉強の手は抜き、創作のあれこればっかり考えていたので、3年5月の統一模試でE判定。さすがにやばいと思い、「お、できないのは何? 社会? 理科?」ということで、耳にJourneyの『ESCAPE』と『FRONTIERS』をはめて、『霧中』の素案をたまに練りつつ勉強した。
 11月にA判定が出て、ぺっと勉強はやめてしまった。同様ランクの中堅校はいくつかあったけど、11月の統一模試で志望校内順位4位で、その上と言われていた学校が8位だったから、なんだたいした差はないじゃんと、やっぱそこでいいと思った。近いし、創作活動はできるし。なんかその上もいけそうな感じだったけど、先生が地元優先志向でこっちでいいんじゃないっていうんで、やっぱそこでいいという話になった。
 だって「すべては、創作活動のために。」だし。
 そして高校に入ったら入ったで、高校卒業したら公務員になって五時直帰してお給料全部つぎこんで小説とマンガとビデオに囲まれ創作活動し、三十ぐらいで売れない小説家になって、過ごそうともくろみ始めた。
 売れると忙しくなって他人のもの読む時間なくなるじゃん。
 蛇足だけどなんで大学に行こうと思ったかというと、二年の現代文で『山月記』と『こころ』をやるじゃないですか。あれが授業で面白くて、「よし、私はこの二つの論文を書こう。では大学に行こう。もしかして二つなので院までいかないとダメかな?」(あ、十代のおバカなので無視してください)と思って、高校三年生の時に大学に行こうかなと思った。
 で、大学に行ったら行ったでゼミに入ったら入ったで近代文学研究なるものを習ったんだけど、なんか今まで考えてきたことを逆さまに見るだけのことを学者先生たちがぎゃあぎゃあ言いながら論じあっているという感じで、「こんな簡単なことも見えないのかしら、この人たち、馬鹿じゃないかしら」と思いながら…小説って読んだら、比喩だけど、紙の上に文字が並べてあってその上に構成やら作者の哲学や思惑がふーっと浮かんでくるようなもんじゃない、書いている人からすると。何をあんな小難しく愛もなくやるんだろう、というのが私の当時の疑問だった。
 紫式部の父親に関してかぶるところは、あんまりあるとは思えないんだけど、うちの父親は自分の子供たちに全然学校の先生としては接しなかったような気がする。ただ一つ今から思えばよそと違う所があるとすれば、7時のNHKのニュースの時間に、必ず時事について父親が色々と意見やうんちく(解説というかもしれない)を言うのよね。これが子供の頃から続くわけだが、高校あたりから兄ともども議論になり、途中で兄が就職や結婚でいなくなり、父が退職する頃には私と父親が逆転しているという感じだった。あれを今でいうアクティブラーニングと言えなくもない。毎日2〜30分、何年だろう、一応父は進学校の教師を40年ぐらいしていたので、それなりの知識量も見識もあったはずだけど、今となっては何を話していたか覚えていない。(教育論が一番多かったかな?)

 で、そんなことをつらつら思うにつけ、いや、一番共感したのは物語オタク女子のところとか道長の反応のところとかなんだけど、うっ…誰にも理解されなくていいから、物語オタク女子に戻りたいのに…などと思い、早、年も暮れ。
 年末年始は通信制大学の法律の勉強をしていたのだけど、ツイッターなどというものは忘却の彼方にいっており、年があけてネット向けにおめでとうなんてことは3日ぐらいまで忘れていた。(一応1日は映画を見に行き、2日は初詣でに行ったことは行ったが)
 そして運命の1月6日(←大袈裟なんだよ)。
 短編集に『ゆきひめ』という小説がある。ふと考えるところがあって、読み返していたのだが、読んでいて愕然とした。
 何、この話、あっちこっち壊れている。
 ………1996年から1998年にかけて、ちょっと色々問題があったころで、1996年後半と言えば論文も書いていて、それも前に読み返したら相当出来が悪かったのだけど、この『ゆきひめ』を読み返して、いや、よく恥ずかし気もなくここまでネットにこんな壊れた話放置していたなと。
 それもこれも、どうでもいいことにかまけて…たとえば夜さ、ネットチェックとかツイッターとか書いてなければ、いつかここのところ読み返して訂正でもしてたんじゃない?なんであんなこと平気でやっていたのかしら。
 『ボヘミアン・ラプソディ』から始まって(いや、その前の秋に寝る間も惜しんでアジアドラマのDVDを見始めた頃からかも)この時に、ツイッターとか全然しなくても生きていけるし、むしろ時間の無駄だなと。
 決定打はあの「ツイッターやめる」とつぶやいた日で、あれ書いている時点でその日一時間費やしてしまい、「ああ、またこんな無意味なことを…」と思ってあのつぶやきに達したのだった。

 自分にとってのツイッターの欠点。
1、文字数が少ないのでどうにか小さく収めるように努力してしまう。(長文書きに向いたツールじゃない)
2、それ故にあまりちゃんと書けない。(文・内容とも)
3、よく調べもせずにものを書いてしまう。
4、人がどう思うかとか気にし過ぎる。
5、字数制限があるが故に、長編書くときの「息が短くなるかも」が気になる。
6、やたら時間がかかる。(通常1時間5枚ペースなのに2枚分ぐらいしか書けない)

 よく人にも褒められ美文の王様みたいだった自分が、このままこの140字の字数制限の中に埋もれてしまってもよいものか、とも思ったのもあるんだけど、とにかく時間はとられる、文章の質が落ちる、自分が書くということの質も落ちる、これは大変不本意である。

 ということで、ツイッターやめます。

 ただ今から考えると、『ゆきひめ』がなんでパクられなかったかというに、この作品の出来の悪さのせいもあるのかもしれない。だから書き直すのもいかがなものかと思うのだけど。
 でもブログをペロって書いてそのまま放置も不親切なので、それはどうかなとは思うんだけど、今ある分は今月中にも鍵かけて仕舞いにします。
 物語オタク女子に戻りたいところだけど、正規ではなく、いつ仕事失うかわからないし、将来あと何年か生きるために、そのための勉強に費やしているかもしれない。なんか書くだけ書いて盗まれて相手には業績になり、こちらは非正規で生活に困るとか、本当にアホみたいなので、世間で起こっていることへのジャーナリスティックなことも含めて、遠慮させていただこうかと。(一応時期に遅れるように書くようにはしているんだけど。盗られるし。)
 あ、当然教育関係のことも。

 よくパクられるパクられると書いてるけど、本当にパクられてるの?
 昔から読んでいる人には繰り返しになるので、後日またどこかで。
(原稿用紙14枚分読んでいただいてありがとう。書くのも3時間近くかかったぜ。)
posted by さきはなきよら at 00:05| Comment(0) | 日記