2019年04月28日

新元号に思ったこと

 やっぱり5月1日に「あけましておめでとうございます」って言うの?
 4月30日に除夜の鐘がなったらどうしよう。
 ちなみに四天王寺では御代代わりの護摩祈祷をするのだそうで。
 今上が退位し、東宮が即位され、御代代わりに伴い、改元が行われる。
 元号は「令和」だそうで。

 遅ればせながら。
 もう今日すでに「れいわ」と入力すると一発変換できるようになっている。すごいねえ。
出展は『万葉集』だそうで。梅の花三十二首の序文、おそらく大伴旅人が書いたであろうというところから名づけられたのだそう。「初春の令月にして、氣淑く風和ぎ…」。
 既に知れ渡っているところをだらだらと書いても仕方がないし、私は『万葉集』が専門でもなんでもないし、まあ、高校の先生程度の知識しかありません。もしかして間違えているかも、と、びくびくしながら(嘘ばっかり)授業でも説明しています。
 やはり万葉集といえば、旅人の息子、家持の巻末の歌。

 新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)

 新春に雪が降っていて、その雪のようにますますよい事が積もっていきますように、なんて説明して、今までこんな大きな歌集は日本になかったが、有志によって(つまり国から収集の資金も出ず)初めて作られ、その歌集の最後がスタートの歌で始まってる、これが憎いよね、これから日本の文化がますます栄えるようにって祈りをこめたんだよーとか適当なことを言って『万葉集』を説明する。そして教科書に載っている東歌や防人歌なんかも紹介するわけだが、おそらく日本で始めての大規模な歌集を作成するんだというプライドの元に作られたのだろう、と私は勝手なことを文献の確認もせずにべらべらとしゃべる。

 この「令和」が発表されるや否や、中国サイドから「元ネタ」は中国の書物だと指摘されたそう。いや、知ってるでしょ、選んだ学者。もし噂通り中西進氏(もしくはそのクラスの学者)なら、そんなこと知らないはずがない。日本の古典文学全集の注釈を中国の学者は見たことがないのね、と思い、その中国人の意見を紹介する日本人も、おそらくこういう系の書物を手に取ったことがないのだろうと思った(なんか寂しい…)。高校の時にさ、教科書の下の方にも書かれてるんだけど、「脚注」、それに日本の文献であろうと中国の文献であろうと、元ネタがあればちゃんと載せてあるんだよね。教科書の指導書にいたってはもっと詳しいよ。指導書は先生しか見れないとしても、高校を卒業して古典の教科書できちんと古典を読んだ人なら、注釈に何が書いてあるか読んだことあるんじゃないの?
 有名どころでは『枕草子』の「香炉峰の雪」のとことかね。
 ネットで、「万葉集だけど、ここの部分漢文なんだ」というコメントがあったりして、それを書いている人はもしかして、『万葉集』の時には平仮名カタカナがなかったということも知らないのではないだろうかと思った。 
 これでいいのか、日本。
 日本には表記文学において何度も革命的な転換点があったが、『万葉集』は最初のその一つ。その後に、平仮名片仮名の発明、紀貫之による平仮名文化の革命、女流文学の隆盛、歌論や同時代作家への作品批評、藤原定家による保存、江戸期の文法的研究、明治の言文一致運動等大きな転換点を経ながら日本の表記文学の歴史は動いてきた。(こんなことも知らずに表現のどうのと生徒に書くことを強要したらチコちゃんに叱られるんじゃあるまいか)。おそらく表記文学においての革命の端緒がやはり『万葉集』かと思うんだけど、私もその筋の学者ではないから端緒かどうかとまでは言い切れない。(それ以前に個々の歌集はあったかもしれないし。)
 でも『万葉集』の時に、現在の平仮名が存在しなかったのは知っておいてほしいかも。

 つまり表記方法が漢字漢文しかなかったのだから、部分漢文になるのは仕方がない。
 それでも万葉仮名で日本語を表記しようとした努力はすごいと思う。
 平仮名の発明によって最初の正式な言文一致がなされたんだろうな。
 さっきのNHKの番組でネットの普及で小さな個人の声をネットで発信できるようになった、それは画期的革命だとか言ってたような気がするけど、明治初期にも似たようなことなかったっけ。文字だけでなく。マスメディアにいたら知ってると思うけど。それが一部の特権階級のものにだんだんなっていったかと思うんだ。

 そして『万葉集』後、『古今和歌集』という和歌集が編纂されたが、それは、『万葉集』なしでなしえたか。そしてこれを端緒として後に他の和歌集が編纂されていくわけだが、(しかも国の事業として)、現代にして思えば家持の詠んだ歌も、詠んだ甲斐があったねって感じだよね。
 …とみてくると、今まで漢籍を元に作成された元号が、国書を元にする最初の元号として『万葉集』から選ばれたのは、非常におあつらえ向きではないかと思うのだけど。
 漢籍から国書へ、にあたって漢字の音を借りた万葉仮名を使用した、現存する我が国最初の大型歌集である『万葉集』を、しかもその部分、つまり中国の漢籍の部分が元ネタになった箇所を引いてきたんだけど、漢籍を踏まえながらも日本流に変換された部分をひいてきたというのが粋だねえと思っちゃうわけさ。だってこの記述の後に、みんなで漢詩を詠んだのではなく、似通ったシチュエーションで「日本の和歌」を詠んだんでしょ。しかも万葉仮名で表記した。
 元号が「漢籍から国書へ」へのリンクもさながら、この国の文化需要の起こりをも象徴しているようではないか。
  
 私も近代文学だから門外漢といえば門外漢なんだけど、もはやよその国にわたって、違う形に溶け込んだ作品に「元はうちだ!」とか言うのってどうなの?
 中国由来の梅の花の元、漢籍を思い浮かべながらも、和歌を詠んだという場面に意味があると思うんだけど。

 現代漫画の形式もアニメーションも元はアメリカじゃなかったっけ。
 私はガンダムフリークのアメリカ人が「元はうちだ!」なんて言うのは聞いたことがない。むしろディズニーなんてムニャムニャ…
 劣化コピーは非難されてしかるべきかもしれないが、そこにアイデンティティーが確立されていれば、もはやそれは別物だと思う。

 「令和」。深いねえ。粋だねえ。専門外の私でも感心しちゃったよ。
 オタクがオタクの知識の一部を、大っぴらに解説せず国にテレビで使ってもらってるってこういう感じかと生まれて初めて思ったわ。
 
 今上には申し訳ないが、「平成」は私にとっては残念ながらあまりいい時代じゃなかった。
 年の初めではないけれど、時代の初めに「いやしけ吉事」と祈りたいと思う。
posted by さきはなきよら at 23:44| Comment(0) | 日記