2019年01月21日

ツイッターやめます その2

 ツイッターやめます その2

 理由は二つあると書いて、前回はその一つ目を書きました。現物はこちらをご覧ください。

 ツイッターやめます その1
http://sakihanakiyora.sblo.jp/article/185386419.html?1547562491

 …この犯人なんですけどね、2013年にいた学校は2017年にもう一度当時の校長に声をかけられて戻ったんですけど、一番変だと思ったのは間三校に比してツイッターへの反応をする人が多い、さらに新しい人まで知っている感じで、確信をもってしゃべっている張本人がいると考えるのが自然だったんですよね。
 私の中では確信しているけれども、確認したわけではないので、推測でしかありません。
 K本さんがY田君にしゃべった時点で該当個人情報保護法違反が生きていて時効が成立していないことになり、当然確認するまで時効そのものが始動していないことにもなる。それは、Y田君も同じで、損害賠償請求の対象になりますかね。
 この仕事を離れて情熱が残っていたら事件化して該当校と府教委に請求しましょうかね。
 そもそも名誉棄損で告訴したH野さんが子宮の病気になり舌がんになり、私に百万円の示談金を支払い(彼女の収入とがん闘病中を考慮して当初の三分の一になったわけだが)、おそらくその後職を失ったのに対し、彼らが罪をおかしながら何の咎めもないのが私にはどうにも解せないというか不公平だと思う。

 さて、「前回の続き」が長くなりましたが、もう一つのツイッターやめます、の理由。
 1月6日のこと、「ゆきひめ」という短編集に入っている短編小説を読み返した、それがきっかけ、というか最終判断です。
 そしておおよその起こりは、さかのぼること12月14日(金)『ボヘミアン・ラプソディ』という映画を見たのですが、その映画を見てからクイーンのこと、知っていることを確認しまくる、調べまくるという日々が夜寝る間を惜しんでやってしまい、――当然この間もツイッターなぞはほとんどしておらず、その時に「なんで寝る間を惜しんでまで調べないかんねん」と自分でも思いながら、しばらくしてからふと気が付いた。
 私ってもともとこういう人じゃなかった?
 興味を持ったら調べまくるという。
 そして、そんなもやもやの中で、ある時学校の図書館に調べものをしに行きまして、そしたら、あるマンガが目についた。
 『紫式部日記』。
 紫式部の『紫式部日記』をマンガ化したもの。
 軽い気持ちで読みました。ところが、「なんだ…これは…まるで合わせ鏡を見ているようではないか…」とめまいを覚え始め、…そうよね、そうよね、物語オタク女子っていつの時代も似たようなものよね、そうよね、と思いつつ…それにしても似たようなところが多い。
 私は子供の頃から物語オタクなので、中学は書くことのウォーミングアップ、中学校を出たら本格的に創作活動を始めようと思っており、その高校に行く条件が「就職か進学かを選べて勉強に時間をとられなくてもついていける、創作活動ができる学校」という条件だった。
 「すべては創作活動のために。」
 だいたい当時思っていたのだが、女子なんて弁護士や医者になるならわかるけど、なんでゴールが同じなのに進学校に行くのかと。不思議に思って実際進学しようという子に「医者か弁護士になりたいの?」ときいたことがあり、そしたらそんなことはないと言われ、「じゃあなんでその学校に行くの?」と聞いたら変な顔をされた。
 私たちが高校の時だったか、大手企業の女性従業員が昇進に不当な扱いを受けると裁判を起こしていたため、我々の世代でもまだ無理だわ、なんて思っていて、そういう進学校に行く子が不思議でならなかった。
 とかいいつつも、私も勉強が出来てしまって結末として進学校にという話になったらいやなので(トップ校には親がいたし)、中学校入ったばかりの時どうやったら成績をとらずに済むかしらんと思い、そこで思いついたのが「授業をきかなければいいのよ」。きいたら頭に入るし、問題だされたら解いてしまうし。(こう書いたらおわかりかと思うけど小学校の時はそれぐらいよくできました。)
 紫式部のアホのふりしたというのもよくわかる。女子が賢くても仕方がない。
 でも創作の世界、読むのも書くのも手は抜きたくない。
 そして、勉強は手を抜き、そして、抜き過ぎた。
 もうかなり早くから大方志望校は決まっていて、上の条件に当てはまる学校(第一条件。すべては、創作の…)。
 さらに私は当時朝が起きられなかった。今でこそ甥たちは「起立性調節障害」などという診断名をもらって普通にケアされているが、当時はそんなものはない。近くて、場合によっては車で送ってもらえて、それでももしかしたら無理かもしれない。遠かったら二時間目まで全滅で出席日数が足りなくて……なんてことを自分の中ではいろいろ考えていて、周りの人は進学すればなんとかなるさあ、なんて思うんだろうけど、自分の中では全然自信はなかった。自分の寝起きの悪さからしてその学校しかどっちにしても行くのは無理だと思ったのがリアルな話。その学校でさえ一時間目が間に合わなくて、泣きながら近所のおばさんに送ってもらうことをよく想像していた。
 しかし高校はほぼ皆勤だった。
 ちなみに勉強の手は抜き、創作のあれこればっかり考えていたので、3年5月の統一模試でE判定。さすがにやばいと思い、「お、できないのは何? 社会? 理科?」ということで、耳にJourneyの『ESCAPE』と『FRONTIERS』をはめて、『霧中』の素案をたまに練りつつ勉強した。
 11月にA判定が出て、ぺっと勉強はやめてしまった。同様ランクの中堅校はいくつかあったけど、11月の統一模試で志望校内順位4位で、その上と言われていた学校が8位だったから、なんだたいした差はないじゃんと、やっぱそこでいいと思った。近いし、創作活動はできるし。なんかその上もいけそうな感じだったけど、先生が地元優先志向でこっちでいいんじゃないっていうんで、やっぱそこでいいという話になった。
 だって「すべては、創作活動のために。」だし。
 そして高校に入ったら入ったで、高校卒業したら公務員になって五時直帰してお給料全部つぎこんで小説とマンガとビデオに囲まれ創作活動し、三十ぐらいで売れない小説家になって、過ごそうともくろみ始めた。
 売れると忙しくなって他人のもの読む時間なくなるじゃん。
 蛇足だけどなんで大学に行こうと思ったかというと、二年の現代文で『山月記』と『こころ』をやるじゃないですか。あれが授業で面白くて、「よし、私はこの二つの論文を書こう。では大学に行こう。もしかして二つなので院までいかないとダメかな?」(あ、十代のおバカなので無視してください)と思って、高校三年生の時に大学に行こうかなと思った。
 で、大学に行ったら行ったでゼミに入ったら入ったで近代文学研究なるものを習ったんだけど、なんか今まで考えてきたことを逆さまに見るだけのことを学者先生たちがぎゃあぎゃあ言いながら論じあっているという感じで、「こんな簡単なことも見えないのかしら、この人たち、馬鹿じゃないかしら」と思いながら…小説って読んだら、比喩だけど、紙の上に文字が並べてあってその上に構成やら作者の哲学や思惑がふーっと浮かんでくるようなもんじゃない、書いている人からすると。何をあんな小難しく愛もなくやるんだろう、というのが私の当時の疑問だった。
 紫式部の父親に関してかぶるところは、あんまりあるとは思えないんだけど、うちの父親は自分の子供たちに全然学校の先生としては接しなかったような気がする。ただ一つ今から思えばよそと違う所があるとすれば、7時のNHKのニュースの時間に、必ず時事について父親が色々と意見やうんちく(解説というかもしれない)を言うのよね。これが子供の頃から続くわけだが、高校あたりから兄ともども議論になり、途中で兄が就職や結婚でいなくなり、父が退職する頃には私と父親が逆転しているという感じだった。あれを今でいうアクティブラーニングと言えなくもない。毎日2〜30分、何年だろう、一応父は進学校の教師を40年ぐらいしていたので、それなりの知識量も見識もあったはずだけど、今となっては何を話していたか覚えていない。(教育論が一番多かったかな?)

 で、そんなことをつらつら思うにつけ、いや、一番共感したのは物語オタク女子のところとか道長の反応のところとかなんだけど、うっ…誰にも理解されなくていいから、物語オタク女子に戻りたいのに…などと思い、早、年も暮れ。
 年末年始は通信制大学の法律の勉強をしていたのだけど、ツイッターなどというものは忘却の彼方にいっており、年があけてネット向けにおめでとうなんてことは3日ぐらいまで忘れていた。(一応1日は映画を見に行き、2日は初詣でに行ったことは行ったが)
 そして運命の1月6日(←大袈裟なんだよ)。
 短編集に『ゆきひめ』という小説がある。ふと考えるところがあって、読み返していたのだが、読んでいて愕然とした。
 何、この話、あっちこっち壊れている。
 ………1996年から1998年にかけて、ちょっと色々問題があったころで、1996年後半と言えば論文も書いていて、それも前に読み返したら相当出来が悪かったのだけど、この『ゆきひめ』を読み返して、いや、よく恥ずかし気もなくここまでネットにこんな壊れた話放置していたなと。
 それもこれも、どうでもいいことにかまけて…たとえば夜さ、ネットチェックとかツイッターとか書いてなければ、いつかここのところ読み返して訂正でもしてたんじゃない?なんであんなこと平気でやっていたのかしら。
 『ボヘミアン・ラプソディ』から始まって(いや、その前の秋に寝る間も惜しんでアジアドラマのDVDを見始めた頃からかも)この時に、ツイッターとか全然しなくても生きていけるし、むしろ時間の無駄だなと。
 決定打はあの「ツイッターやめる」とつぶやいた日で、あれ書いている時点でその日一時間費やしてしまい、「ああ、またこんな無意味なことを…」と思ってあのつぶやきに達したのだった。

 自分にとってのツイッターの欠点。
1、文字数が少ないのでどうにか小さく収めるように努力してしまう。(長文書きに向いたツールじゃない)
2、それ故にあまりちゃんと書けない。(文・内容とも)
3、よく調べもせずにものを書いてしまう。
4、人がどう思うかとか気にし過ぎる。
5、字数制限があるが故に、長編書くときの「息が短くなるかも」が気になる。
6、やたら時間がかかる。(通常1時間5枚ペースなのに2枚分ぐらいしか書けない)

 よく人にも褒められ美文の王様みたいだった自分が、このままこの140字の字数制限の中に埋もれてしまってもよいものか、とも思ったのもあるんだけど、とにかく時間はとられる、文章の質が落ちる、自分が書くということの質も落ちる、これは大変不本意である。

 ということで、ツイッターやめます。

 ただ今から考えると、『ゆきひめ』がなんでパクられなかったかというに、この作品の出来の悪さのせいもあるのかもしれない。だから書き直すのもいかがなものかと思うのだけど。
 でもブログをペロって書いてそのまま放置も不親切なので、それはどうかなとは思うんだけど、今ある分は今月中にも鍵かけて仕舞いにします。
 物語オタク女子に戻りたいところだけど、正規ではなく、いつ仕事失うかわからないし、将来あと何年か生きるために、そのための勉強に費やしているかもしれない。なんか書くだけ書いて盗まれて相手には業績になり、こちらは非正規で生活に困るとか、本当にアホみたいなので、世間で起こっていることへのジャーナリスティックなことも含めて、遠慮させていただこうかと。(一応時期に遅れるように書くようにはしているんだけど。盗られるし。)
 あ、当然教育関係のことも。

 よくパクられるパクられると書いてるけど、本当にパクられてるの?
 昔から読んでいる人には繰り返しになるので、後日またどこかで。
(原稿用紙14枚分読んでいただいてありがとう。書くのも3時間近くかかったぜ。)
posted by さきはなきよら at 00:05| Comment(0) | 日記
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