2019年09月09日

おくの細道の旅〜山形・秋田3〜

 おくの細道をたどる旅、三日目(7/30)
 
 さて、最終日象潟。宿泊したのは、さんねむ温泉という宿でした。親が昔象潟に来た時に泊まったのがこの宿だと思うんだけど(予約したのは私)、両親の話から察するに、その間に建て替えられた感じ。両親が行った時は狭くて古くて何とか言ってたから、その後建て替えたのだろう。西側は洋室ばかりだった。温泉から夕陽が見えるというのがこの宿の自慢で、しかし私が着いた時には既に陽も…という以前にこの日は曇っていて夕陽どころではなかった。どんよりした雲に焼け残りみたいな赤があっただけ。夕陽が見える温泉と、鳥海山が見える温泉とがあり、朝に鳥海山の見える方へと行ったのだけど、やはり前日と同じく曇っていて全く見えなかった。(とうとう最後まで見られなかった。残念。)
 鳥海山が見える方の温泉は一番上の階にあって町が見えるはずだけど、そこからでは九十九島は把握できず、実は前日着いた時も町を走っていてよくわからず、地図を見ていたけどやはりいまいち全体像が把握できず、どうしたもんかと思い、千早赤阪村に郷土資料館があるようにここにもあるのではないかと…でナビを合わせてみたらやはり出てきたので郷土資料館へ。
 芭蕉が来た頃は島として存在したけど、その後江戸時代の地震で土地が隆起し、島でも潟でもなくなってしまったらしい。芭蕉は江戸を出発する時に、松島とここを最大の目的地にしていたとか。当時は九十九島浮かぶ景勝地だったのだろうが、今は影もない。
 郷土資料館に着いたものの、時間が早いしもう開いてるかしらんと入ってみたら、さすがに市の施設なだけあって開いてた。
 平日のせいか貸し切り。
 上の階に上がって見たら今年は『おくのほそ道』330年記念の年だそうで、…これ特別展示なの?普段を知らないからよくわからない。でも行ったら期待通り、あった、江戸時代の象潟のジオラマ。
 ポチっと押すとピカッと光ってどの辺に何があったかを教えてくれるのだけど、ボタンが多すぎて探すのに大変。しかもこれは何の順なんじゃい。
 で、順番に能因島、熊野神社、能登屋、向屋と押してみる。なるほど、こういう位置関係かって感じなのだが、このジオラマの模型の家が江戸時代の屋敷を再現していて、しかもピカっと光るのが暖かい色、灯火に見える。あー、なんか夕方になるとこんな感じだったんだろうなー、などと思いを馳せる。展示に説明があって、芭蕉は着いてからうどんを食べたと。やはり当時のうどんのおつゆも黒かったのかしらんと思いながら説明を読み読み、館内をうろうろ。たくさんの文人が昔からいらしてたのねと思いつつ、意外と当時を偲べるのが常設の北前船関連の展示のところ。ジオラマの屋敷とここをリンクさせたら、芭蕉が来た時もこんな感じだったのだろうか、などと、またまた思いを馳せた。
 他に池田修三作品展なるものがなされていて、ふーんそうなんだーと無知の極みで郷土資料館を跡に。
 やはり出るまで貸し切り。またまた長々とお邪魔しました。(ここでもらったパンフレットは良かった。)
 
 さて、資料館を出てから車でまずは「能因島」に。
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 車だと行きづらい。ちょっと離れた所へ止めて、近づいて見る。
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 古墳…?お墓じゃないよねと思ってよく見たら人が歩いて登った後があるので、私も登ってみる。
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 なんか寂しい。
 あーあのポツンポツンと隆起したのが島かーと思いつつ、なんか寂しい。
 景色が寂しい。
 こんなところに能因は本当に三年もいたの?と思いつつ、もしこの今田園になっているところが海だったり、晴れていて鳥海山が見えたりしたら違う感じだったのかもと思いつつ、本当に三年もいたのだろうか。
 能因島を下りて熊野神社へ。ナビを合わせると和歌山県が出てくる。うまくいかないので持っていた紙の地図とナビの地図を照合させ、ナビ上の地図をポチっと押して目的地を設定。歩いても行けそうだけど湿度が高くてつらそうなのでやはり車で。近くにある城跡の広場に止めたのだが、近所のおばあちゃんたちが出て話をしている。残念なことにその日私はいかれた柄の立ち襟のシャツを着ていたので、不審者ではありませんと示すために芭蕉と書かれた本を持って、熊野神社へ向かう。
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 暗い。
 入口から入っていくけど、暗い。入っていっても狭い。
 こんなとこで本当に江戸時代踊りなんか踊ったの?と思うほど狭い。芭蕉が宿を借りようとしたら熊野神社の祭のための踊り子の女性たちでいっぱいで、向いの家に宿を移したという。しかしこれは踊ったとしても踊り子のみが躍ったのではあるまいか。元広くて狭くなったようにも見えないし。それともよそで踊ったのだろうか。
 なんかわからないまま出てきて(中の撮影はしなかった)、欄干橋、船着場跡を回り、又左衛門跡、最初に芭蕉が泊まるはずだった能登屋、女性客でいっぱいで泊まれなかったため宿を変えた向屋へと道をたどる。この能登屋の前に立った時に思ったのだが、この踊り子たちは漂浪遊民なのではあるまいか。俗にいうウカレメ。今こういう踊りをする祭はしていないらしいけど、元々なかったという可能性はないのかしら。神事に発した通年行事ではなかったのかもしれない。
 ちなみに当時の順路としては能登屋(向屋)→熊野神社→能因島→蚶満寺のルートが正しいのかな。
 写真は順に@熊野神社外観、欄干橋(と説明)、舟つなぎ石、A又左衛門宅跡説明、B能登屋説明、C向屋説明
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 全体図(グーグルマップ参照のこと)
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 駅前句碑。
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 駅前にある句碑を撮りに行き、駅の横の建物の二階に喫茶店があることに気が付く。「スイーツ…」とふらふらと入っていくと、昭和の喫茶店だった。懐かしいなあ…。チーズケーキしかないと言われたんだけどアイスコーヒーとチーズケーキおいしかったです。そこで店主に象潟を一望できる場所はないですか、ときいたら、ないとかいう。あの山の方まで上がったら一望できますかときいたら「見えるけど小さいよ」と言われた。それからなんか差し棒を出して写真を使って説明をしてくれるのだが、一番印象に残ったのが、地震で隆起したのが2メートル60センチだとか。
 長い竿をさせば舟もこげそうだが落ちたら足は立たないな。波も寄せただろうし、風情のある景観だったかもしれない。
 鳥海山の美しい水が海へ流れておいしい牡蠣が生で食べられるのだそうな。時間があったら道の駅へ寄ってみるところなのに。
 そして喫茶店を出ると、最後の蚶満寺へ。
 駐車場着いたらまた貸し切り。雨が…降らないで…と思いつつ、芭蕉像の写真撮影。
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 西施像と解説
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 続いて寺の受付へと向かう。「初めてですか」とのおばさんの問いに「大阪から来ました」とは言ったものの、その後の説明が、「あ、秋田弁、やっときいた」と思った。そういえば喫茶店のマスターも秋田弁は話さなかった。
 中に入るとお堂、案内に従って裏へと抜けると船着場跡がある。
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 その奥に西行の桜。これは最近植えたものではあるまいかと思いつつも何の説明も近くにない。
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 船着場のすぐ横にある田んぼが昔は海面だったのかしら、もうちょっと低かったのかしらんと思いながら、そこから見える島々を眺める。
 寂しい…。
 天気が良かったら寂しくないのかしら。
 芭蕉が「松島は笑うが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくわえて、地勢魂をなやますに似たり」と書いたが正しくそれ。どこか悲しみを誘う寂しさ。今までたどった地を思うと、脳裏に海面を渡る舟が浮かぶ。夜に漕ぎ出せばあかりも灯しただろう。夕暮れに陸に着けば江戸時代にふさわしい民家の灯の中に宿を求めたであろう。
 寂しい。
 泣く。
 なんで景色に泣かなあかんねんと思いつつも、泣く。この地で芭蕉が「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んだこの句は、同じこの地を訪れた西行の歌とされていた「蚶方(きさかた)の桜は波に埋(うず)もれて花の上漕ぐ海士の釣舟」にインスパイアされて詠んだことは想像できるが、このイメージに重ねられ、貝が多く採れる土地柄(象潟の旧字「蚶方」の「蚶」はキサガイという貝がたくさんとれたことに由来するらしい)、さらに雨が降るなら、芭蕉が思い浮かべた西施は、傾国の美女として忌み嫌われ、最後長江に沈められた女の姿だったかもしれない。(沈められた近くでハマグリがたくさんとれるようになったとか。)
 土地の人は怒るかもしれないし、小雨が降りそうなこの時だからそう思ったのかもしれないが、激動の末の悲劇のラストシーンがよく似合う景観だ。その時の主人公は水面に映った月を取ろうとして溺れた粋人や、地位を追われて舟をもろともに沈ませた元皇帝ではなく、女性で、水に沈められた薄幸の美女が似つかわしい。
 ただたおやかに立つ女性の姿のイメージとは少し違う。とても哀しい。
 三百三十年前の象潟とは、そういうイメージを宿した場所だったのかもしれない。
 
 寂しい、泣く…と思いつつ、蚶満寺を後にする。そして、高台を目指す。遠くてもいいから九十九島を眺めて見ようと思いつつ。(↓が能因島で右後ろが熊野神社かな?)
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 この後一路秋田空港へ。この空港へ向かう山の中の自動車道もほぼ貸し切りだった。しかも結構な雨。
 和歌山や徳島の海沿い、九州の山々を見慣れているせいか、日本海側の景色は全体的に寂しい感じがする。逆の言い方をすれば太平洋側は明るい。
 蚶満寺からの景色はなんとなく、冬の雨、椿咲く楠公誕生地の寂しさにも似ているけれど。


 芭蕉はこの後酒田に下り日本海を経て新潟県村上から海沿いを石川、福井の方へと向かうわけですが、この酒田新潟間は行っていませんが、新潟から出雲崎へは今回の旅行の十日前に行ってきたので、後日機会があれば書こうと思います。
 上記に加え出雲崎から直江津間以外は終焉の地まで日本海側はたどったことになりますが、その分はかなり前になっていて書き残していません。ちょうどツイッターをしていた時代で、かつ現在地をたどられるのを避けていたため、ツイッターも残さず。ブログにも残してないかな。長文書きには長文書きにふさわしいツールがあるとつくづく。
 以上「象潟」でした。
posted by さきはなきよら at 16:52| Comment(0) | 旅行記

2019年08月21日

おくの細道の旅〜山形・秋田2〜

 芭蕉の足跡をたどる旅二日目(7/29)

 前回書いてから既に20日経ってしまいました。
 何してたの?
 寝てたか出掛けてたか…。七月が忙しかったもので…。

 ちなみに鶴岡で泊まったホテルは著名な建築家がデザインしたホテルらしい。
 スイデンテラス/SUIDEN TERRASSE(空間芸術研究所)
 http://vectorfield.net/2018/08/04/スイデンテラス-suiden-terrace/

 駅前のビジネスホテルと比較するとバーゲンで千円ぐらい高かっただけで、駅からちょっと離れてるけど電車の音が聞こえてこないしいいかあ、水田も見えるらしいし癒されるよねー(そして水田の見える時間には着かず私の部屋からは水田は見えなかった)と予約したのだが、たいへんデザイナーズなホテルだった。
 温泉があるのも知らず(何も考えないで予約してる)、朝も温泉に入り、朝食はやはりビジネスホテルと違って子供連れが多いせいか時間がかかり、出発は9時半だった。(前日の到着も遅かったけど。)
 そもそも今回の旅は象潟に行くのが目的で、後は全部おまけ、行けたら行こうぐらいな気持ちで他は回っている。それで前日に立てた予定では、鶴岡で一箇所だけ道の途中立ち寄れるところがあったので、寄り、出羽三山はとりあえず湯殿山だけ行ってあとは外から眺め、最上川の川下りかな、程度の予定を立てていた。
 月山と羽黒山は登れたら登る。
 
 鶴岡市内、長山重行宅跡地。
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 鶴岡市街を跡にして、一路湯殿山へ。湯殿山は途中から一般車を入れておらず、神社へ行くにはバスに乗り換えねばならない。そのバス乗り場に着いたのが午前10時35分頃。45分発のバスがあるので切符を買って、トイレへ。トイレは水で流すも、ものを落としたら二度と戻ってこないアレだった。
 そしてバスに乗り込み、車内では案内が流れる。乗車時間約5分。「きくな、語るな、語るな、きくな」と、お参りしても湯殿山神社がどんな神社か口外してはならない決まりがある。写真も撮ってはならない。ゆえに芭蕉も詳細は書いていなかった。
 そして私も書かない。
 帰り11時30分のバスに乗って帰ってきたが、帰るバスの車内で、これは三山とも参らねばならないのではないかという気持ちにされた。

 ちなみに湯殿山神社行きバス停にある案内図。
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 そこで時計を見て、最上川川下りはぶっちだなと思い、月山の神社、月山中ノ宮へ向かった。
 8合目にある神社らしいが、そこにお参りすれば山頂まで行って参ったことにしてくれるのだそうな。おおよそ車で一時間の距離なのだが、途中から道が細い。曲がりくねっている。しかも対向車が来る。一般車ではなくバスで…。
 でも昔は車では登れず車で登れるだけありがたいわよね、などと自分を慰めながら…この坂道結構辛かった。
 そして8合目駐車場到着。(写真は駐車場からの景色)
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 寒い…。
 中ノ宮はどこじゃと思いつつ案内を探すがわからない。
 湯殿山から月山までの道にコンビニがあったら何か買おうとか、喫茶店や道の駅があったら入ろうと思ったのに何もなかった。そして8合目でレストハウスがあったのでのぞいたんだけど、うどんはあるけど、ここのうどんはつゆが真っ黒いうどんかもと思ってやめた。
 レストハウス。
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 一応非常食はもっていたので食事はいいとして、一番困ったのがホットの飲料がそのお店のうどんの汁(見てないけど)とその店のコーヒーしかない(空腹にコーヒーもねえ…)。自動販売機も冷たいのしかない。
 つまり寒い。ゆえに温かいものがほしい。
 仕方がないから再び神社を探すも、いまいちよくわからない。段を少し上がった所に人が集まっていて、看板があるので見てみると、その駐車場から神社はおおよそ15分。
 案内図。
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 天気ものすごく悪い。雨が降りそう。
 芭蕉が来た時は天気が非常によくて、この山上で一夜を明かしたのだが、寒くて震えながら寝たという。季節はほぼ同じなので、私がこの時寒いと感じた寒さよりも、夜はもっと冷えたであろう。想像すると、今歴史に名を残す文人が山の上で震えて寝たのかと思うとちょっとほほえましい。

 8合目駐にあるレストハウス裏に広がる弥陀ヶ原
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 月山中ノ宮
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 この先から山頂へはまだ約2時間らしい。その山頂へ到着して湯殿山へ徒歩で行くには四時間。(知っている人は読んでいて分かっていると思うけど、私は時間と湯殿山神社と本日の目的地へのルートの都合上、通常ルートを逆行している。本来は羽黒山→月山→湯殿山。)

 昔の人もこんな景色を眺めたのだなあ…。
 そして、結局最初は行かないはずだった、羽黒山、出羽三山神社へと向かう。
 実はこの出羽三山神社に参れば、出羽三山すべての神社に参ったことになるらしい。

 そこへはおおよそ車で40分。
 出羽三山神社に着くころには、修行をしに来たのか芭蕉の足跡をたどりに来たのかわからない気持ちになっていた。

 出羽三山神社
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 ただ下調べしていかなかったので(旅行の計画を立てた時も全く行く気がなかった)、ここの五重塔の存在を知らず、まったく頭にもないため、近づきもしなかった。
 せめて父親が生前行った時の五重塔。(父親は「奥の細道」の本を出している。)
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 やっとあえたよ、芭蕉像(今の私より年下なんだよね)。
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 この羽黒山が現世とすれば、月山があの世、そして湯殿山が来世を表しているのだという。私は逆をたどったのだけど、どうなんですかね。来世から現世に来たって感じになるんでしょうか。ただ湯殿山神社へ行って思ったのだけど、たぶん月山で死んで、湯殿山でもう一度生まれるんだよね。
 そして、最上川の川下りをできないまでも、せめて最上川を見ようと、まずは最上川沿いの芭蕉上陸の地へ。(車で30分ぐらい?)
 なんかびっくりするぐらい道の途中お店がなく、喫茶店もドライブイン(今ドライブインってあるの? →兵庫県にはありました。)もなく、せめて道の駅ぐらいあればいいのになく、体が冷えているからあったかいものが飲みたいけどなく、どこも自動販売機は冷たいものしか置いておらず、コンビニさえもない。
 しかし羽黒山を下りてその上陸の地まで道はほぼ貸し切りだった。
 
 そして芭蕉上陸の地。(庄内藩清川関所前)
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 時計を見ながら道沿いに最上川をさかのぼろうと思い、まずは最上川芭蕉川下りの到着地の川の駅「最上峡・くさなぎ」へ。着くと最後の川下りを終えた客を乗せる路線バスが停まっていた。
 下船場
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 えらく川の色が汚いので、川の駅の店員さんにきくと今日は雨が降って水嵩がましており、色もいつもよりは茶色いとのこと。川の駅は飲食できる店が閉まっており、販売機も全部冷たいのばかりだった。
 が、セルフサービスのホットコーヒーがあった。
 嬉々としてカップをセットしボタンを押したが無反応。なぜ?
 電源が入ってなかった。
 電源までセルフサービスのコーヒーを飲む。(でもそこまであったまった感じがしない)
 時計を見ると4時半頃だったかな。これは川下りの乗船地までいけるぞと車に乗り、最上川沿いを上流へ。
 午後4時50分、最上峡芭蕉ラインの乗船地横の土産物店が開いていたので、せめて絵葉書でも買おうと店に入る(店は写真の奥。5時まで)。
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 そして乗船場へ向かう。
 やはり貸し切り。誰もいない。
 乗り場へ降りて一応、「すいません、入りますよ」と声をかけたが、返事もなく誰もいない。
 雨の後のせいか水流が早く、たぶん乗ったらすいーっと進んだであろう。「五月雨を集めてはやし最上川」とはよく詠んだものだ。
 ちなみに川の駅の説明によると、最初は「はやし」ではなく「すずし」だったが、この川下りをしてみてから変えたのだという。私はてっきり川下りは交通手段で利用したと思っていたので遊び(もしくは観光)で乗ったのかと意外に思えた。
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 夜の夜中一人で立っていると闇に溶けそうな景色だ。
 怖いだろうな…。
 
 そして一路、そこから秋田県にかほ市にある象潟の宿へ。
 せめてコンビニによって…もしカフェか何かあったら甘いものでも食べてと思ったんだけど、うっかり通過したのを最後に全くなく、激しくひもじい気持ちになりながら最上川沿いを西へ。酒田市に入ったあたりで鳥海山が見えるだろうと思ったが、あいにくの天気の悪さ…。大きな山裾だけがおそろしい感じで見えた、あれがそうだったのかもしれない。気が付いたら高速に乗り、サービスエリアもパーキングエリアもなく、酒田市を抜け、北上…。
 もはや煩悩の塊のような頭で(甘いものが食べたい、温かいものが飲みたい)北上し、やっと遊佐というところでコンビニに入れて貪るように甘いものとホットラテをいただきました。
 朝ごはんを食べた後、非常食、ホットコーヒー一杯で、夕方6時頃にこのおやつ。良い子は真似しちゃいけません。…ていうか、こういういかにも田舎に行く時は非常食をもっともっていかないといけない。そういえば父親の田舎も阿南市大西をすぎればろくな店がない。そんなものか…。

 道の途中に十六羅漢岩の案内があったけど、暗くて怖かったので通過。
 今回の本来の目的地象潟の宿には夕方6時半頃に到着しました。(晩御飯の時間に到着する気はなかったので両日とも夕食はつけず。前日は宿の中にあるレストランでカレー。)
 ご飯だーっ。
 しかもこの宿も温泉がある、ありがたや。
posted by さきはなきよら at 23:16| Comment(0) | 旅行記

2019年07月31日

おくの細道の旅〜山形・秋田1〜

 旅日記みたいなものを書くのは何年ぶりだろう。
 松尾芭蕉『奥の細道』の旅、主に出羽三山と象潟を目的にして二泊三日で行ってきました。
 相当の強行軍でした。
 まずは大阪空港から山形空港まで空路で飛ぶ。三か月前に予約したので往復片道代もかかっていない。いや、今回一番高かったのはレンタカー代で、山形空港で借りて秋田空港で返すもんだから乗り捨て代が馬鹿高い。そのせいか長距離を走るとわかっていたせいか、レンタカー会社が出してきたのは3ナンバーのスポーツカーだった。え…コンパクトカーのサイズがいいからコンパクトカーで予約したのに…と思いつつ、乗ってみたら、なるほど、走りがいいわ。うちのノートe-powerとなんら遜色もない。
 というか、ノートe-powerのキャッチフレーズが「コンパクトカーに3ナンバーの走りを」だから遜色がないのは当然なのかもしれない。これでワンペダル走行と自動ブレーキが付いてたらなあ、などとそれでも若干ケチつけながら、山形空港から一路、斎藤茂吉記念館へ。
 あれ? 芭蕉の『奥の細道』の旅じゃないの?
 いや、せっかく山形に来たんだから、日本近代文学学徒としては、茂吉記念館ははずせんでしょう。他をはしょってもはずせんでしょう。故にいきなり番外です。
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 日航機からの景色。台風が通り過ぎた後(7/28)だったので雲が多かった。

 ちなみに山形空港は現在「おいしい山形空港」というのが正式名称?で、客室乗務員の方が「おいしい山形空港」とアナウンスしているのを、「おかしいな…おいしいに聞こえる。OCの間違いか? でもOCってなんの略? 小川珈琲?」などと思いつつきいていたら、着地して空港の建物に近づいてびっくり。
 本当に「おいしい山形空港」だった。
 この形容詞おかしくない?
 …と思いつつも、これってこのネタできるよね。
 「山形空港? 何それ、おいしいの? 食べられるの?」
 (ネタ元はかわみなみ『シャンペンシャワー』)
 思うところは誰も同じらしく、降りる時に後ろからくる子供におばあちゃんらしき人が、「食べ物がおいしい山形の空港って意味」と説明していた。
 ひっかかる。

 さて、道は一路斎藤茂吉記念館へ。
 この高速道気持ちよかった。天気がよかったせいもあるけど。
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 斎藤茂吉記念館正面

 斎藤茂吉のふるさとは、てっきり、広々とした田畑が広がる所とばかり思っていたので、なんか予想していたのと地形が違った。館内をめぐって見て思ったのだが、遺族が生きているとどうしても隠してしまう部分がある。茂吉は恋をせずに結婚し、必然の生活の傍らで歌を詠んだらしい。それから論文の発表名を見ると「もきち」ではなく「しげよし」が本名らしいと初めて知った。これあまり大っぴらに書いてないよね。
 印象的だったのは、土地の男らしく、成人すると出羽三山に上り、それをわざわざ東京で暮らした息子たちにもさせている。いやあ、この辺は明治の男だなあ。
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 茂吉記念館からの景色
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 茂吉記念館敷地から蔵王方面をのぞむ。

 音声ガイドを借り、映像まで見て一時間ほどで茂吉記念館を出ると、次は「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」で知られる山形市立石寺、通称山寺へ。
 と、書きつつ、記念館を出たのは既に3時15分。どこまで回れるかしら、上まで行けるかしらと思いつつ、車を飛ばし山寺へ。
 確実に時間制限のある山寺芭蕉記念館へ先に。…十五分しかかからなかった、見るの。
 本人の筆跡が残っていて、えらくか細く繊細な字。こういう繊細さがなければ文学は極められないか、と思ったなり。
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 山寺芭蕉記念館駐車場前から立石寺のある山をのぞむ。

 そして、とりあえず、時間的に入れるかどうかわからずに山寺山門へ向かう。
 駐車場で車を停め方々、もしもう間に合わないなら、下のお堂だけお参りして、ここの店でお茶して出ようと思い、駐車料金を払いながらお店の兄ちゃんにきいてみたら、
「四時半までに山門に行けば登れますよ」
とのこと。時計は4時23分ぐらいで、じゃあ行ってみますと慌ててその店を出て、山門へ。
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 寺の正面。山門はさらに五分ほど歩いた所。

 行くと受け付けは通れたものの「5時半には帰って来て下さい。」と言われる。「え、一時間で行けるんですか?」というと「一時間で行けます。」
 話が違う。(どんな話だ)
 ということで、夏だったせいか遅い時間だったけど、結構まだ登る人いた。
 1000段あるそうなので、狸谷山不動院×3かな、と思いつつ、石段を上っているうちに苦しくなり、「せみ塚」のところで休憩、それ以降は石段を数えながら登る。
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 せみ塚
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 途中見上げて
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 上のお堂
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 山寺上からの展望

 芭蕉は尾花沢逗留中に勧められてこの寺へ来たらしい。今は観光客が多いから山が静かなことはないが、この時代は静かだったのかもしれない。私がいた時間はヒグラシが鳴いていた。ただ、これ詠んだとして絶対下りだよね。山の湿度が高い中、汗かいた分の水分補給してから詠んだべ。上での景色に加えて、汗ひいて座りながら飲むと爽快で気持ちよかったに違いない。(専門じゃないから好き勝手言える。)確かに周囲の湿気と水分のせいで音も石にしみいるように感じるわ。(※諸説あります。)

 そして汗だくのまま山寺を出ると、本日の宿泊地、鶴岡へ。
 上った時間が日中ではなく、普通に過ごすには汗もかくまいが、やっぱ山に登ると汗だく。
 おなかもすいて、でも途中、もう空いているお店が沿道になくって、コンビニよろうと思ったらなくて自動車道入っちゃって、道の駅によっておやつと思ったら全部凍ってるし、かろうじてちょうどいいサイズのアップルパイが一個だけ残っていて、自動販売機のカフェオレでお茶をする。(これがこの旅の「お店がない」地獄の始まりだった。)
 その道の駅から出羽三山の湯殿山の南を東から西へ通過する高速道路を行ったのだが、山の気配は怖いし土砂降りになるし日は暮れるし、なんかサバイバルな峠越えだった。(芭蕉はこのルートは通ってないはず。)

つづく。
posted by さきはなきよら at 23:53| Comment(0) | 旅行記