2011年04月03日

ミスチル、桜井書き下ろしの…

 今日は奈良県天川村へお参りに行ってきました。
 雪でした。
 洞川の方は梅もまだ咲いておらず雪が残っていました。
 まああちらは格別に寒いですが、それでも、もう四月なのに寒いです。
 しかしなんですね、人通りが本当に少ないですね。
 

 さて、ミスチルの桜井和寿が被災地支援のために作った曲を配信するそうで、それにあたってコメントを寄せていて、私流に略すと誤解が生じてもいけないので、一部そのまま転載すると、

 >でも曲を作って人を感動させるという行為も、この災害を前に不純に思えてしかたなくて、どうしたらいいのか何日か悩んでいた。
 
 同じ文脈で理解してるかどうかはわかりませんが、ちょっと思ったんだけど、こういうのって小説とか書く人って「いつも」じゃない? 

 人の不幸を書いて感動させる。
 人の死を題材にして感動させる。

 いつもじゃない?
 で、割としょっちゅうそのことについて考えたりしない?
 私はするんだけど。
 『巫女姫物語』を書いている時も、中編書き始めてからしばらくした頃、あのJR線脱線事故から何年ということでニュース番組で特集をしていたのを見て、実際遺体として写真見るまで死を受け入れられなかったという遺族の方のエピソードが紹介されてたんだけど、「あー、そうかー」って思いながら、ちょっと立ち止まり。
 別に『巫女姫』に限ったことではない、『緑青の海へ』でもそう。
 過失が人を死なせることもある。
 そして、立ち止まり。
 でも進む。
 さらに、感動させるように書く必要があれば、やっぱり書く。
 ただそこでいつも注意しなければいけない、というか、注意しているのは、同じようなエピソードを持っている人が、その時の登場人物の心の動きなり心情なりを読んだりして「違う」と思わないようにと気をつけてはいます。
 なぜなら、誤解とか、心象の間違いは、一番その人を傷つけるから。 
 私もストーカー関連の人に心の読みを全問不正解状態されていた時期があるので、わかるけど。

 
 でも、それを書くことによってあんまり「感動させる」って私は思うことはないんだけど。
 「感動させる」って言葉は非常に抵抗がある。
 どちらかというと、「心を動かす」。
 良きにつけ悪しきにつけ。
 平坦な日常の、あるいは、動けない心の、導火線なり、チャッカマンなりとなって。
 それでいいんじゃないかと思うんだけど。
 ま、それが結果として感動であったりもするんだけどさ。
 
 
 結局批判が怖いってのもあるんだろうけど、あるいは、人の不幸の上に業績を重ねる後ろめたさってあるんだろうけど、そんなこと気にしてたら何もできないし(特に人を題材に使うストーリーものとかは)、その批判さえも、何もない日常からしたら、いろんな力になりませんですかね。
 それが何かは、いちいち書かないけどさ。
 された本人の、のりこえる強さになったり。
 さらなる深みを目指したり。
 した本人の思考の元になったり。
 それをきいた人の、思考のもとになったり。
 そして、それぞれに答えを出せば、新たに動ける力になるんだから。
 
 
 そういうわけで私は、それぞれに意味がないとは思わないんだけど。
 その根本に、誠実さと、気持ちとしての「本当」があればいいんじゃないですか、と思うんだけど。
 ない、というか、別のことが透けて見えると、それをみんな敏感に感じ取って、批判が大勢になったりするんだよね。
 悪くいう人、わからない人には、いくら言ったってわからないものだし。
 
 
 余談ですけど、小説の場合、たまに誤読で批判が出ることあるんだけど、まあ、書き手もそれは書き方が悪かったって反省せねばならないところではあるかもしれないけど、『時をはらむ女』って小説書いた時に、「本当の恋」っていう単語が出てくるセリフがあるんだけど、そのセリフ全体の文脈は、「これからやりたい盛りになる君は、それやりたいままにやったらあかんよ」って、小六の男の子に対して書いたセリフだったんだけど、これある一定年齢に達した人何人かから「あなたは何もわかってない」みたいに言われたことがあって、いろいろ批判されたこともあったんだけど、「いや、あの、あなたのいう文脈では、私もそんなこと考えてないですぅ…」とか思ったことがありました。
 一人称小説だけど、大人の作文書いてるわけじゃないですし、セリフを言った「なみ」という登場人物に即してのセリフなんで、まあ当然です。
 全部の登場人物が言うセリフをいちいち私個人のものとして考えてたらちょっと問題です。分裂症です。
 まあでもなんでそんなことが起きるかというと、読んでいる側が自分の感情入れて読んでしまうとこがあるんですよね。
 そこが難しいところ。
 今から思うに、このことに対し批判した人は、概して「本当の恋をしたいと思っていたが、そういう人とは出あわずに〜」ってなった人なんじゃないかと思うんですけど。
 書いた側は感想受けるのは一人じゃないので、下手に批判すると変なとこまで邪推するので、読み手は作中人物の考えに関する所までは、あんまり口やかましく言わない方がいいです。
 もちろん論理的に筋が通ってなければ、それ以前の問題ですけど。
 
 
 なんか話がずれてしまった。
 今回の震災で「今私にできること」というセリフを耳にたこができるぐらい聴きましたが、なんか昔似たようなこと考えてて、それが『眠りの森』って小説でも書いてました。
 今あんな恥ずかしい小説間違えても書けませんが。
 あれ、十代だから書けたんでしょうねえ。
 そんな頃に震災ってあったっけ。
 いやいや、そうではなく…。
 
 
 さて、で、『眠りの森』じゃないけど、瀕死の日本が目覚めて、この局面を打開できるのか。
 とりあえず桜井さんをはじめとして、チャッカマンなり導火線なりに、なっちゃってくださいよ。
 「金」だけじゃ、心の火はつかないんだし。
 心の火がないと行動へと移らないんだし。
 ストーリーものに「即時性」は厳しいですしねえ、音楽ですよ、音楽。
posted by さきはなきよら at 18:18| 日々雑感

2010年06月19日

ストーカーのこと

 今更ストーカーのこと。
 

 私の記憶が確かなら、どんなストーカーかはどこにも書いてないと思うんだけど。
 でも半年前ブログを荒らしていこうとした人はストーカーされてたことが「気のせい」とかなんとか書いてらっしゃる。
 どういう種類のストーカーかどこにも何も書いてないのに、なぜ断言するのでしょう。
 裏を返せば事実を知ってるからでしょう?
 さて、やはり何か企みごとをするならば、それがどこに書かれて、どういう風に書かれて、そして自分の知っていることは書かれていたかどうか、頭の中にきっちり入れて、入れられないなら確認するぐらいの手続きを踏んだ方がいいと思うんだけど。
 計画とか構成を練って動くということを知らない人は、えてしてこういう失敗を犯す。

 

 
 さて本題。
 そのストーカーと、話したことはないです。
 何度もおみかけいたしましたが。
 それが2000年代前半になってから、携帯電話にカメラがつくようになったでしょ、あの辺りから姿を現さなくなりました。でもそれ以前はよくお見かけしました。
 最後に見たのいつかな、2002年かな。ごっつ気持ち悪かったんだけど。

 その当時私副業してまして、新大阪近くのビルにある会社に何度か通ってたんですが、(その副業のことは家のものしか知らないはずなんだけど)、そのビルにもう少しというところの、いつも通る裏通りを歩いていて信号にかかったんです。
 信号にかかって立っていると、はっと気付いて横断歩道の向こう側。
 いるんです、その人が。携帯いじりながら。
 で、信号変わって横断歩道を歩くんですが、やっぱり本人で、滅茶苦茶気持ち悪い、じーっと見ながらすれ違うんですよ、
 気持ち悪い。

 それが最後かな。
 あとは街の中歩くとき耳栓して周り見ないようにして歩くのでわかんないです、いるのかどうかも。でもカメラに収められてばらまかれるのを恐れてこないでしょう(わかんないけど)。
  
 とりあえずこの人の困ったところは、その情報をばらまいて、で、自分の都合のいいように解釈して――妄想でないなら、あえて解釈して、語るということでしょうか。

 しかもこちらが反論する場所をかつて持たなかったばかりに、本当に好き勝手に都合のいいようにしゃべってたようです、自分の周りの人たちに。
 それは、こちらから見れば明らかな「嘘」なんだけど。
 そしてなんかずーっと私の気持ちが自分にあると思っていらっしゃる。
 それを前提で話をしていらっしゃる。
 ないんです、最初から、私には。
 消えたのではなく、ないのです、最初から。
 そして、ないのに出せ出せとおっしゃる。
 正直に言えとおっしゃる。
 しかし、ないものは出せませぬ。
 これが正直な答え。
 単純明快なこの答えがなぜわからぬ。
 素直になれないから出せぬとおっしゃる。
 一体何の理由があって、私が素直にならないなどということがあろうか。
 その根拠が全くわからない。
 プライドが高いからとかも言ったっけ?
 はっきりいって低すぎるほうだと思うんだけど、自分のことを相手に投影して語らないでほしい。(人のこと何も知らないでそう決めつける根拠が何なのかも謎)
 そんなに気になるのは好きだからだろうという人もいるようだけれども、自分のしている行動をふりかえってみてほしい。
 彼のその行動を相手は「やめさせたいと思っている」、とは思わないのか。
 こちらがききたい。
 そのやめさせたいと思う思いが恋愛感情の「気にかけている」と、とる。
 ならば、一切こちらはもうこの人のことは犯罪者としてしかみるまいと思い、勘違いされるような対応は一切しなくなった。

 とりあえずこの人すごいうそつきだと思ったのが、いつだったか、アルバイトの帰りに、真っ暗な道で待ち伏せしてらしたことがあったんだけど、――待ち伏せしてたのがこの人だということは、後からこの人の歌で初めて確認したんだけれども。
 そのバイトの帰り道、そこを通ってるってことは、バイト先の数人の方々しかご存じない。「あんな暗い道歩いて帰ったら危ないよ」と注意されたこともある。でも当時健康のためになるべく歩くことはしようと思っていて、その道を選んで歩いていた。
 腕時計の針どころか、自分の履いている靴さえよく見えない路地裏で、角を曲がった瞬間人がいたんだけど、――夜の7時半頃かな8時半頃かな、この記憶があいまいなんだけど、その人はすごく緊張してて、さらにお盆だったので地元の人が親戚を迎えに出てるようにも、見えた、立っている位置からして。
 ただ背格好と緊張しているので、もしかしたら当人かなと思いつつ、歩いて前を通り過ぎ、本人だったら声をかけるだろう、違うなら違うだろうと思いつつ、通り過ぎる時にちらっとみたけどその暗さで全く見えず、全然知らない地元の人だったらジロジロ見るのも失礼なので、普通に歩いて通りぬけた。
 何もない。
 あ、何? 違うの?と思いつつずーっと歩いていったんだけど、もし本人だったらどうなんだろうと思いつつ、この角曲がったところでもうあちらからは見えなくなるなと思った時、立ち止まって振り返った。
 真っ暗。
 そりゃ暗い所に立ってたんだからこちらから見えるはずがない。
 まあ違うかな、しょうがない、もう戻らないからあんたも帰ってねと、もし、本人で、まだ見てる時のためにバイバイって手を振ったんだが(私の予測では見てないということだった)――見てたらしい。

 で、この一連のことでびっくりしたのは、彼がいうには、「私が」声をかけられなかったんだと。
 はあ?
 相手が見えんし誰かわからんし、そこにいるはずのない人が待ち伏せしてて、なんで私が声かけるんじゃい。
 「もすもす、あなた××さんですか、あ、ジモピーさん、こりゃまた失礼。」
 なんて言うの?
 あの暗い道に立ってたらわかるだろう。
 しかも、気持ちが高ぶって、でもその思いを飲み込んだために声をかけられなかったとか、わけのわからない表現をしてるんだけど、そういう内に込める精神状態の時は、バイバイなんて動的行動はせんで。
 
 改めて書くけど、緊張してたのは、お前の方、声をかけられなかったのもお前の方、人の行動調べまくって、のぼせあがってたのもお前の方。
 

 当時はこの嘘にびっくりしたんだけど、こんな嘘序の口序の口、自分の都合のいいように、人が(当時)直接何か言う場所がないことを逆手にとって好き勝手言う言う。
 ただ最大の疑問なのは、この人が一体どこでそんなすごい勘違いをしたのか、――つまり自分が、私に、ものすごく思われているという勘違いをしたのか、さっぱりわからないということ。
 これがストーカーをする人間の思考であり、性情だと言われたらそれまでなんだけど。

 ほとほと困り果てて、一回この人のこと名前も生年月日もわかってるんで、昔近所に住んでた知り合いの霊能者さんに見てもらったことあるんだけど、過去世で親子だったんだって。(霊能者は守秘義務があってその相談の中で得た秘密は法律でしゃべれないことになっているので、どうぞご安心。)
 その過去世の記憶をひきずって成仏できない「思い」がこの人の中に残ってて、こういうことをさせるんだって。
 そうなのかと思って一回清めたんだけど、それでもなかなか引かない。
 この前また別の用事があってその霊能者さんに電話したとき、その話題になって、魂を送り返すときにその人に、「もうあんたの時代は終わった」って言ったらどうと言われたんだけど。
 でもそんなこともう考えずに今は意地だけでやってるんじゃない?
 嘘いっぱいついた後だし、今更引けないよね、みっともなくて。

 ということで、本人にここではっきり告げておくと、「最初から、私にはあなたに対する気持ちは全く、何も、ありません。」ということでよろしくお願いします。
 私の好きなタイプと全然違うし。
 一説にまたいとこの男子に顔が似てるっていう人いるんだけど、そしたら私にもどこか似てることになるわ。
 でも似てないと思うんだけど、全然。
 どういう人か知らない母は霊能者さんの言葉をきいて「どこかで血がつながってるかもしれないんだから悪くいうのよしなさい」とかいうんだけど、どこにもつながってる気配はないし。
 それ以前に顔なんかどうでもいいし。

 

 ちなみに念のために書いておくと、第三者から見たら何のことで誰のことかわからないと思う。
 馬鹿な真似はよしましょう。

 
 
 

  
  翌日追記:
 

 なんでストーカーされてるのに警察へ訴えないのとおっしゃる方もおられようが、ストーカー法というのはザル法で、生命財産の危機におびやかされない限りは警察はなかなか動いてくれない。何月何日に待ち伏せされたとか、裏でこそこそこんなことをしているではなく、確かな目に見える証拠がないとダメなわけです。
 あの法律で救われる人は、だから、生命財産の危機におびやかされるようなすごい状況にあってる人ってことでしょうかね。

 あと名誉毀損は、私が以前警察に相談した時に該当する侮辱罪と同じ「親告罪」なんですが、親告罪というのは告訴する権限が本人にあるため、警察は和解された時に自分たちの捜査が無駄になるのを嫌ってなかなか被害届を受理したがらない。それで一般的には弁護士を連れて行かないといけないんですが、その弁護士を連れて行っても、なかなか受理したがらないそうです。
 それ以前に弁護士というのは、相談するだけで一万円かかる。
 これに某大な証拠を集めて戦うとなると、とんでもなくお金がかかる。
 知らない人は簡単に「なんで訴えないの?」というんですが、こういう事情があるからです。
 ちなみにストーカー法も親告罪。途中で訴えられるのを嫌って大量の和解金を支払ったりされれば、結局捜査は水の泡となりますよね。

 それから上の内容で、相手のストーカーのことを丁寧に書いていますが、丁寧に書くのは馬鹿が暴れるとうっとおしいから。報復をしたい気持ちは山のようにあるけれど、一応押さえて書いてるだけです。変なうがち読みはご遠慮ください。(もう勘違いはご勘弁)


 

☆6月23日追記

 上に書いている夜待ち伏せされた時の現場の動画。
 スタートより正面の暗闇、終了時左上の明かりの手前の暗闇にその人は立ってました。

 (はっきりいって何も見えない)

 また、バイバイした現場。
 中央から車が走って出てくるその奥の暗闇のあたりにその人は立っていたと思われる。

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posted by さきはなきよら at 00:42| 日々雑感