2017年03月17日

書籍版『箱の中』14章について〜主観読みの認識〜


 書籍版『箱の中』14章が、誤読されている。
 私がパラノイドだとネットで名指しで書かれて「は?」と思ったことにより察したことですから本人に確認したわけではありません。
 まあここまではいいんだよね。作品というのは、読者の手に渡った時点で読者のものだから、どう読んでも。
 問題は、書かれているそれを私自身の意見として読んでいるということで、思っている、考えているのはイコール私にされてしまっているということ。
 何度も書きますけど、わたくしは、日本の告白体小説である私小説は書きません。ほぼすべてフィクションと受け取ってもらっても構わないぐらい、フィクションを主流にして書きます。ですから、自分の考えや思いを、生まれも環境も育ちも生き様も何もかも違う登場人物に語らせるなどということは、いたしません。
 それっておかしいでしょ? 違う人間なのに。
 さらにそれでもって私を攻撃するとはどういうことかと。
 あの14章においては、確か週刊朝日の書評では神戸児童殺傷事件と絡ませて書いていたはずで、それを読んだ友人が「なんであんな話が出てくるの?」とえらく憤慨していたのを思い出しました。別にいいんです、どう読んでもらっても。ただ確かに、あの海辺の一セリフだけで判断するとそうなるかな、と今回読み返していて思いました。連続幼女誘拐殺人事件の一件ですよね。被害者の方もいらっしゃるので今回それもあって電子版では差し替えましたが、あれは一つの例であって、14章全体で判断してほしいんですよね、書いた側としては。
 文章というのは全体をもって一つの意味をもたせることは普通にあることですし、海辺の主張の説明はあのセリフ一つだけで終わってしまっているわけではありません。つまり14章は「タブーを犯す愉楽」が誰にでもあるということを海辺が拙い言葉で語るというのを目的にして書いていたということです。
 だからといって、『箱の中』という小説は、それだけを書きたいがために書いている小説でもないということを、あえてお断りしておきます。
 
 小説というのはたいへん難しいもので、生徒に大学入試の問題を解かせるときに、よく「自分の感想を入れて読んでしまいがちなので、書かれていることに対し忠実に読むように気をつけなさい。」と注意します。要するに文章、特に小説というのは主観を入れて読んでしまいがちで、書いていることと違うことをいつの間にか勝手に付け加えてしまうということがよくあります。そして選択肢を選び、解答を書いてしまい、間違える。これは誰でもやってしまうもので、京大阪大受験レベルの子でもやってしまいがちなミスです。私が以前ブログで喧嘩売られたときも「それどこに書いてるんですか」と聞いたことがあります。自分の思い込みを入れて他人の文章を読むんですね。認識のない方は認識していただきたい。

 『時をはらむ女』という小説の中でも、これをやられたことがあります。ネット掲載しているので読んでいただければいいのですが、「それが本当の恋なんや」という言葉の前の文章の部分に関してです。あの「なみ」の言葉の趣旨は、これから十代に入ってやりたい盛りになるだろう少年の、それをいさめるのが目的です。お読みいただければわかると思います。さらに加えると、「なみ」という登場人物が人生を生きてきた中で得た実感として出てきた言葉です。私は小説を書くときに背景設定はよくしますし、「なみ」のそれ以前のことを描いた作品は「花嵐」というタイトルでストックしており、まだ書いていませんので詳しくは書けませんが、出来ています。むしろあの「なみ」のセリフで、彼女のそれまでの人生を想像していただければ幸いです。
 したがって、あのセリフは私の考えではありません。私は「なみ」ではありませんし、「なみ」の人生は生きてはおりません。「本当の恋」は、読めばわかりますが、体だけの関係の対置を想定して選んだ言葉であって、そんな深い意味では使ってはいないんですが、あれを書いた当時、個人誌として出した時に、それなりにいい年のおば様方に「は?」という感想をいただきました。
 ていうか、なんでそこだけ抜いてきてムキになってるの?
 そんな感じです。
 ムキになっているのは結構なんだけど、全体の主旨はそれではないし、私に文句言われても、それは「なみ」という人物の中から出てきた言葉なので、私の考えではないのだけれど。
 大学の先生をしている人まで入っていた。
 しかも私小説としてとったとしても、私の告白は「なみ」ではなく「波広」ではあるまいか。
 感想文を書いているのではないのだし。
 あの時ムキになって言うおば様方に、そこだけ抽出して読む誤りと、人物の人生を人物の人生として受け取れないところ、それにプラスアルファを想像して、当時そういう誤読がよくあることと知らず、非常に恥ずかしい人たちだ、と思ったものですが、プライドを傷つけてもいけないのでその時は黙っていました。
 誤読しても主観の中で読んでも、まったく問題ありません。
 ただでも私は作文を書いているわけではないので、私を攻めるのはやめていただきたく思う。
 世の中Aさんにとっては真実でも、Bさんにとっては違うと思うことなんてたくさんある、それをいちいち否定していたら、お前にBさんの何がわかると言われるまでではないでしょうかね。違いますか。
 攻撃してくる人ってどこかで上から目線になっているせいもあると思うのだけど。

 こういう経緯を経て、なるべく誤解を生まないようにと気をつけて書いているんですけど、どうしても前後の兼ね合いでいれざるを得ないことも出てきます。それでも『巫女姫物語』の中の一台詞も変えたりしたかな。「健康なのです、心も体も。」という台詞ですが、そうすると障がい者蔑視に受け取る人が出てきかねない。それも大木村の巫女姫一族の娘だから出てきた台詞なんであって、心の方が秘密に塗りこめられた村の中で生まれた心、体は巫女姫一族の血を持った体という、非常に特殊なケースを想定して言っているんだけれども、当然それを作中で人物が自分で説明すると嘘臭くって仕方がない(ほとんどの人は学校の先生のように理路整然と立て板に水という説明はしない。それをするとリアルじゃない)。作外で私が説明すると非常に無粋な感じがする、その無粋さを犯すぐらいならと、削除して差し替えてしまったセリフです。
 最初読んだ中に、あれ、ないよ、と思ったら、そういうことなどを考えて削っていると思っていただきたい。

 何度でも言いたい。作文は書いてない。
 むしろ、なぜそう読み取ったのか、自分に問うていただきたい。
 
 私が教える子には、人間は主観の生き物だとか、小説の構造の話はするんですけどね。
 人を攻める前に、誤読じゃないかと疑ってみることも必要なんじゃないかと思います。自戒を込めて。
posted by さきはなきよら at 22:36| Comment(0) | 小説更新日記

2017年03月05日

小説『箱の中』覚え書き

 「箱の中」に関してはほとんどブログに書いてないので一応覚えている限りを書き記しておきます。
 稿を起こした理由は電子本の最後に書いておきましたので、あれでよろしいかと。
 ちなみに書く前に宮本輝『錦繍』、谷崎潤一郎『鍵』は読んでいますが、参考にはしていません。方法として参考にしたのは谷崎潤一郎『春琴抄』。
 参考文献は臨床心理学者、霜山徳爾の「人間の限界」。
 BGMは記憶せず。
 登場人物の名前の由来は順番に、海辺真理子が、当時アルバイトでいってた塾の生徒に「海辺くん」という子がいて、ああ、こんな名字あるんだと使わせていただいた。たぶん珍しい名字だと思う。
 平田一志も同様に、塾の生徒の平田君からとってます。中学生でした。背は作中ほど高くなく、「目がいつも潤んで見える」という特徴のみがかぶります。
 菊川寛。菊と川と両方使いたくて菊川。親が菊池寛にあやかったということにして、菊池寛から寛をいただきました。
 白石幸は、当時知り合いだった同学年の彼女に、「綺麗な名前、どっかで使っていい?」とお許しをもらったものですが、そのまま使うのはあまりに問題があると思い、若干もじって、「白橋」をあえて「石」の字にかえて白石。今読み返すとやはり背格好のイメージがどうしてもかぶる。でも彼女は美少女でもどこか印象的でもなかった。比較的フツーの人だった。
 私の小説は実在人物や過去の何かから引いてきてる場合があるので不用意に使うとリアルに一般人でいることがありますよ。知りませんよ。

 電子本の最後に三人に読んでもらいながらと書いたけれど、今思い起こせば二人が同時進行で、一人は書き上げてからかもしれない。それでその最後の彼女が本にしたらと言ったのがきっかけで書籍刊行に思い至った。当時1300部かな。図書館発注数ではその出版社始まって以来の数字だったらしい。(つまり図書館に行ったらある。)
 
 谷崎潤一郎研究の中で「朧化」という言葉が出てくるんですよね。あえてはっきり書かない、という。で、それはかえって想像力をかきたてられていやらしくなる、故にあえて谷崎はそういう書き方を心がけたと。
 それは確かに意識したかな。低年齢層にはわからないようにと思いながらも、わかる奴にはエロく。かつ直接描写を控え、極力内面の動きに注力して描くと。
 あのシーンは映像化するとやらしくもなんともないシーンではないかと思う。学校の中という設定上必要だったというだけでなく、あえて男性視点で書いた。というのも当時、何で読んだっけな、女性作家にそういうシーンでもっと女性をさらけ出してと編集者が要請しているというのを読んで、今小説読者って女性の方が圧倒的に多いのに、それは違うんじゃない? ボーイズラブが相変わらず受けるのは、男性側からのを見た方が女性に受けるってことだろうと、男性性からの描写を採用。できれば、読んでる男性が羞恥を感じるぐらいに、ということで。
 男性側を書くための参考資料ってたくさんありますからね。ペラペラしゃべるから、男の人は。

 ということで、覚え書き。
 また何か思い出したら書きます。
posted by さきはなきよら at 17:41| Comment(0) | 小説更新日記

2017年02月26日

『箱の中』電子書籍版出版に際し

 ネット上には未掲載だった長編小説『箱の中』をアマゾンより電子書籍で出版いたしました。紙媒体による書籍は18年前に出し、その書籍版の定価は1400円、未だに売られているのでどれだけ値引きするものかと考えましたが、半額以下の600円にしました。出版社絡んでないのに書籍版と同じ値段とか近い値段とか厚かましいですし。
 販売ページのアドレスはこちら
 箱の中 咲花圭良   
 https://www.amazon.co.jp/dp/B06XB4SK2R/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_n7USybRCRYJRC

 内容については、誤字脱字、表現のおかしい小さな部分の書き換えをしてあります。
 また大きな書き換えとして、14章をごっそり三か所、入れ替えてあります。この小説は三人の友人に読んでもらいながら書いていましたが、その初稿を書く直前で没にして差し替えた分を今回は戻しました。興味のある方はご確認ください。

 「書籍版刊行に際して」という最後に入れた文章にもありますが、この作品には映像化の話が二度きておりました。一つが映画企画会社から、もう一つが某公共放送からです。出版社からその旨の連絡があったときは「無理じゃないの〜?」と思いながら、まあいいですよと許可しましたが、まあ無理だったのでしょう、実現しませんでした。
 その他の反応は上記「書籍版刊行に際して」の中に書いてある通りです。
 そういえば週刊朝日かどこかに書評のりましたね、あれはどこへやったかしら。探してみますけど、なんかあれも14章の誤読が入ってたような…最初ホームページに作品紹介としてあげていたんですけど、話の落ちが見える作品紹介なので結局本文は消して掲載していました。みつかって載せられそうなら紹介します。
 
 この作品で困ったことは、反応から察するに、私を直接知らない人は、日本流の「私小説」と勘違いしていた人が多かったらしいということで…。これも上の文章の中に紹介しましたけど。私の研究課題が谷崎潤一郎で、それがどういう作家か知っているなら「ありえない」と判断できるかとは思うんですけど、普通に知らない人が多いのでしょうね。
 そもそも「私小説」はヨーロッパでは一人称で書かれた小説のことで、なぜか日本に入ってきたら作家の身辺を告白する告白体小説に変わってしまった。そしてなぜか、この私小説は一つの小説ジャンルにしかすぎないのに、作家と同じ時代で現実設定の作品は「私小説」とらえる人が多くなってしまった。
 確かに作中人物は私と同じ年の設定ですけどね、あの年に「事件を隠す」のが一番適していたので、あの年になったわけですよ。これも定石といえば定石なんですけどね。

 ということで、なんかブツブツ書いてしまった。
 とある文学賞に応募して、一次審査を担当した方がルール違反で電話をかけてきて、是非賞をとって、芥川賞でも直木賞でも受賞してくださいと激賞してくれたものの、結局は最終予選前で落とされたんです。受賞作知りたいですか? 当時は話題になったけど、もう忘れた人知らない人も多いでしょう(だから書かない)。
 まあ確かに私小説と勘違いすればむかっ腹立てて落とすこともあるかなあとは思うけれども。ただ私の友達がきいたら大爆笑して、「なんであれを私小説と思うの」「あれリアルに見えるか?」と呆れ返りそう。
 以上、出版に際し。
 ツイッターにもいろいろ書いていますけど、近いうちにブログに移しておきます。
 その時に何か思いついたら、また。
posted by さきはなきよら at 23:59| Comment(0) | 小説更新日記

2016年08月16日

SMAP解散に際し

 SMAP解散の諸悪の根元は工藤静香じゃないの?
 皆誰目線でもの申してるのか知らんけど、一般人のSMAP存続希望目線で行くなら、「マネージャーとともにSMAP出てけ」と言われ、四人の気持ちは固かったんだから、全員出ればグループは存続できたわけで。よって戦犯はどう考えても木村をとめた工藤静香。
 事務所の中でほとんどほったらかし状態なのを、面倒みてくれて、三十年近いつきあいのマネだったんでしょ、Iさんとやら。それが追い出されんとするのを黙って見送り「俺たち自分の方が大事で」という方が人情にもとるんじゃない?
 それ一般人まで会社目線で「大人になれ」っていうんじゃ仁も義も廃れるわ。

 実際企業目線というけれど、社員の心身の健康を重視した会社の方が利益あげてるんだよね。
 よってこんな仁義なき会社の方が問題だし(ある意味旧いし)、まして状況の飲み込めてない妻に説得されて仁義にもとる行動をとるとか私はかっこ悪いと思うんだけど。
 そりゃ家族のことを考えればとかいうけど、多くの日本の家族は誰かの犠牲の上で無理を通すならやめろと言わんか。お父さんそんなにしんどい思いしてまで、人を犠牲にしてまでその会社で働かなくていいよ、私もなんとかするから家族で頑張ろうっていってやめさせないか。
 私はそういうケースしか知らん。

 だいたい、工藤静香って何様なんですかね。私一応同級で、でもああいうタイプ中学以来周りで見てないんでわからないんだけど、アイドルあがりの歌手じゃないの?この前歌番組見てて研ナオコかと思ったら工藤だった。事務所の後光がすばらしいけど今回の結末を見る限りこの子本当にヤンキー上がりの姉ちゃんとしか思わなかったけど。そもそも今回のことで木村がどれだけマイナスイメージつくか読めてなかったでしょ。
 私は明菜は好きじゃないけどマッチ見ると冷たい気持ちになるし、ヒガシ見たら鼻しらむ、そして今キムタク。明らかに事務所と一緒に計算ミスしているのに本当に気がついてないんだろうか。
 タレントはイメージが命。一度ついてしまったイメージはかえって強引に変えようとしたほうがイメージも悪くなる。
 バーニング事務所というのはこういう工藤みたいなのを、間違えててもかばうんですかね。そこら辺はやっぱおかしいと思うんだけど。
 あの明菜との会見、光ゲンジの衰退以降しばらくタレントがでなかったよねジャニーズ。なんかまた同じ現象が来るような気がする。

 うちの親が世間のすべてを語るわけじゃないが、母曰く「何をやってもキムタク」。一番要らないのキムタクじゃない?この前のHEROもラストまで顔色維持できてなく連ドラ主演もあと何年できるんだろうと思った。母は慎吾と草なぎ君がお気に入りで、私は「キスしたSMAP」からずっと中居を気にかけている。

 ジャニーズはこれから中居たちが独立したら干すんですかい。こういう場合積極的に干す場合と周囲が顔色見て採用しない場合と両方あるんだよね。今それでなくても嵐もキンキもTOKIOも見るの嫌なのに、テレビますます見れなくなる。衰退したジャニーズを引き上げたのSMAPでしょ。恩知らずめ。
 要するにアイドルなんか見向きもされない中でバラエティにのりだし木村が役者で売れ、やっとアイドルの新しい道筋を作った。キンキもTOKIOも嵐もV6もほぼ同じ売り方を踏襲して波に乗った。どんなに歌って踊っても売れなかった。
 偉そうに、本当に恩知らず。
 光ゲンジのブームが去ってから、日本にはバンドブームがやってきてアイドルの存在は全く消えたに近かった。ジャニーズも5年ほどほぼ存在感もなくSMAPが売れてようやく息を吹き替えした感じだった。
 ようく覚えてるよ。本当に恩知らずな事務所。何が本格的じゃないよ、売れてなかったくせに。

 どんだけマスコミを使っても水面下で噂って流れるもんですよ。トシちゃんもモッくんも我々の噂の中では干されたが常識だったし。ネットのない時代でそれだからネットがあったら余計。社長の相手をしなければ事務所で地位が低くなるとか一時期ジャニーズといえば失笑の的だった。世間をなめてる。

 ジャニーズ事務所を会社として見るとき、彼らはかつての失敗を反省していないことがわかる。さらにエンターテイメントの事務所であるはずなのに内部の争いを赤裸々にさらしてしまい夢を一気に醒ました。
 それは会社の業種からして決してしてはならなかったはずのこと。
 マネが勝手なことした、それで週刊紙の取材の場で呼びつけて出てけって、どう考えたってみっともないし、それやるのがこともあろうに社長とか重役とか。気に入らないなら気に入らないでなんで穏便に円満に追い出すことができないのか。
 結局ジャニーズはお家騒動を外部にさらし、最大のヒット商品をつぶし、会社のイメージを損ねた。普通だったら関わった幹部は引責辞任する。なんでいつまでその座にいるのか、どう考えてもおかしい。
 とりあえず当分ジャニーズは白けた目で見てしまうだろう。

(ツイッターをまとめました)
posted by さきはなきよら at 07:00| Comment(0) | 最近の出来事について

2016年04月10日

ルーツ2

 以前にも書いたことがあるけれども、社会の授業では地主や庄屋を搾取するだけの卑劣な悪の権化みたいに語っていて、きいていた私は我々の先祖はそんなに卑劣だったのだろうかとひそかに深く傷ついたものだった。数年前やはり社会の授業の後の黒板をみたらさほど変わってなかった。ああいう授業っていまだにやってるんだろうか。
 でもね、文献では母方の祖母の父親の実家と、母の実家は一緒に組んで自分ちから金出して大規模な治水工事に取り組んでるし、小作の人たちは農地改革で土地をもらったはいいが途端に食えなくなってみんな次から次へともらった土地を売り飛ばしてしまったという母の言葉を参考にすると、とりあえず所有地が少なくても塩田をやったり醤油屋をやったりして領地の人を食えるようにしてただけ、そんな悪徳卑劣な階級にも思えないんだけど。
 逆に今の世の中の企業や橋下徹みたいに、使うだけ使って容赦なく切り棄て、人の生活おかまいなしに給料削っていく、ああいうのの方がはるかに冷たくて人間性がないと思う。
 とかなんとか書きながら、お前父方の話は全然しないと言われそうなので、今回の「ルーツ2」。
 というか、なぜ語らないかというと、はっきりとはわからないんですよ、父方。
 確かに明治、大正、昭和と農業はしてたんだけど、それ以前はそうじゃなかった、らしい。
 徳島の山の中の一軒家でしてね、以前、ある学校で何の気なく、
「うちの家の電気消したら辺り一帯真っ暗になるんですよ。山の中の一軒家でしてね。」
なんて言ったら、なんか変に鋭い先生で、
「ほうほう、それはおかしな話ですね。なんでそんなことになるんです。」
何がおかしいかというと、日本の国というのは大概が集落を使って生活するので、山の中で孤立して家が建っていてそこに住んでいるのは珍しいケース、その先生はそこをついてきた。
「いえ、うちは、先祖は京都なんですけどね、江戸時代の末期に、放蕩の限りを尽くして借金踏み倒して逃げて、知り合いを頼ってそこに逃げてきたんです。」
「ほうほう、では元は放蕩の限りを尽くせるほどお金があったんですね。」
「まあそうですね。」
「そしたら江戸末期に京都で○○や△△(←忘れてしまった)と一緒に文芸活動なんかしてたかもしれない。」
「そこまではわかりません。」
 公家だったらしい。
 それは曾祖母が語ったのだが、聞いた時に私は「知らないと思って好き勝手言えるよなあ」と、半分馬鹿にしていた。
 サイテーの子孫だ。
 公家で京都の市中なんだけど、京都の市中らしくない名字なので変に思うけれども間違いないそうな。
 大学院で京都に下宿するようになった時のこと。京都市中の地図が当時名前入りで配られていたんだけど、あった、自分と同じ名字の家が。うちの名字は珍しくって、同じ名字の人にあうと決まって「どこのご出身ですか」ときく。ちなみに元銀行家や現歴史学者は同じ名字でも確か島根の人。東京にもいるらしい。で、京都市の左京区でしたかしら、十何件集中して固まって住んでいるところがあり、ああ、ここから出た人かなあとも思いつつ眺めたものだが、恐ろしくて特にそこへ訪ねようとは思わなかった。
 何が恐ろしいかというと、「昔先祖で馬鹿な人がいて、借金踏み倒して逃げて家が大迷惑をこうむった」なんて話が出てきたら、ひえええええーーっごめんなさーい、てなことになるので、結局訪ねてもいかなかった。
 この家はその種の本を見ると、江戸時代かそれ以前に天皇家から臣籍降下してできた家らしいのだけど、実際は本当かどうかはもっと追及しないとわからない。その集団で住んでいる家の人にききにいくとか。
 怖いから追及する気もない。
 でも公家というのはどうも嘘ではないらしく、知らないと思って好き勝手云々は私の失礼な言いぐさであることはなんとなくわかった。
 一家で徳島に逃げてきたものの、両親は何もできないので、子供たちが農具の使い方百姓の仕方をならって、なんとか農業を習得したらしい。
 つまり世にも珍しい「でもしか農家」。
 ただし、うちの家は祖父母の代で一度血が途絶えている。
 祖母が養女、そこに祖父が婿養子に入った。
 曾祖父母に子供ができなかったから。
 しかし、ここで血が途絶えたというのも疑問があって、同じ家ばかりから養子養女を迎えている。祖母に至っては曾祖父が継子いじめをされた義母の孫で、あんな人の孫をもらうなんてと難色を示したが結局誰がそうしろと言ったのか知らないが養子縁組は成ってしまった。そんなだったら、よそからもらえばいいのに。その二代前もその家から嫁をもらっていて、そんなにしつこくその家にこだわるなら、もしかしたらこっちから昔誰か嫁に行ってるんじゃないかという話にはなっている。
 うちは分家で、本家の方はその土地は撤退しており、後継ぎがいるのかどうかもよくわかってない。うちもおそらく叔母がなくなったら撤退するんじゃないかという話だけど。
 いいところなのにねえ。
 一つ気になるのは、借金踏み倒して迷惑をかけた相手がいるんじゃなかろうかということで、踏み倒された方、残された人たちは、やっぱりひどい目にあったんだろうかと思う。私なんかでもストーカー氏を一族郎党末代まで根絶やしにしてやりたいと思うと同様、そう思われてるんじゃないかな、と。気のせいだと言われればそれまでだけど、今度参り所に行って呼び出して謝って来ようかとは思う。そしたら私のその気になっているのも消えるに違いない。
 曾祖父が保証人になって逃げられてひどい目に遭ってるんだからそろそろ許してくれてもよさそうなのに。

 しかし本当に社会の授業ってまだああいうこと言ってるんだろうか。
 学校の組合の人たちでも安倍首相や天皇家をぼろくそだけど、安倍さんも山口の大庄屋の家だったりして、遠からずの私には聴いていて気分が悪いんので悪口は言わないんでほしいんだけど。近くに親族とか血縁がいるとか夢にも思わないんだろうか。もう少し言葉を選んではいかがか。歴史上でも現在でも、別にいい思いばっかりしてるわけじゃないんだから。
posted by さきはなきよら at 00:51| 日記