2016年03月06日

ルーツ

 ルーツの話。
 ルーツの話ってあんまりしたくないんだよね。
 高校生の時のこと。うちの母方の祖先が中津藩の家老だったという話を友人たちにしたことがある。その時はへーっといって終わった。その後日、その話をした中の一人が「うちの母親がいうには、うちだって薩摩藩の家老堀内家やったって言ってたで」といって、へーって話になり、話した後にその子が舌をぺろっと出したことがあった。それを家に帰って話をすると、「そんなはず絶対ない!」と強い確信を持って母親に否定された。
 後になってから、母がなぜあれだけ確信をもって断言したのか、そして話した後なんで彼女がぺろっと舌を出したのかと思ったら、あ――…、なるほどね――…感じ悪―――…と思ったものだった。
 以来口に出してこのルーツの話をしたことは、ただの一度もない。でも、なんかやはり年を取ると家系をさかのぼって確かめておこうと思うわけで、いろいろと見比べてみるんだけど、個人情報保護法の問題もあって、その家老家までいけない。そこで、ここに書いておけば、「それはその人ですよ」と言う人が現れるかもしれないと思って、一応ここに書いて公表しておくことにした。
 これは母方の祖父の母親のルーツ。
 母方の祖父は大分で大庄屋(士族)だったO塚家で(これは検索にかからないためあえてイニシャル伏せ字)、この家の一粒種の曽祖父に縁あって嫁いだのが、この曾祖母。曾祖母は中津の大庄屋O川家の出で、その曾祖母の母の元にこの中津の城代家老の二男(祖父談。三男という説も)が養子に入ったもの。この中津の城代家老が一体どこの家かというのが遡れない。養子に入ったその人は「正造」といってなんか武家らしくない名前。ただ生まれた時の名前と養子に入った時の名前が同じとも限らないので、決めつけるのもよくないかと思う。
 中津藩は藩主と家老家の名字が同じ…というか同族なんだと思うけど、その家老家奥平家は数種の家があって、曾祖母のルーツがどこの家かわからない(大元をたどれば全部奥平なのだろうけど)。生田とか中金とか雨山とか分かれていて、奥平家にもいろいろある。。
 祖父が亡くなる前に聞いた話では「中金」という名字で(なんか日本人の名前みたいじゃなくて聞いた時がっかりした覚えがある。え?金なの?マネー?って感じだった)、下の名前もきいたんだけどそれが覚えていない。中金奥平だとおそらく江戸老中となり福沢諭吉と行動を共にした老中・奥平壱岐の家かなとも思う。ただし奥平壱岐は江戸詰めの家老らしく、壱岐の生年と曾祖母の生年を考えると、壱岐と曾祖母の年齢差は七十五才ぐらいあって、当時の常識で行くと孫は無理。祖父−孫関係は年齢的に近すぎ、壱岐が曾祖父にあたるならいけるかな…とは思うが、とにかく中金奥平家がどう分派したのかもわからないので何ともいえない。
 つまりわからないのはここ。
 そもそもこの城代家老(祖父談)と言う人はどういう人だったんだろうかと。
 もっと言うなら奥平壱岐との関係でどこの人だったのかと。
 奥平壱岐は福沢諭吉も若かりし頃長崎に留学しているのだが、曾祖母が最初嫁いだ家は、今は亡き祖母いわく「長崎にある家老の分家筋」だそう。たぶんこの若かりし頃数名が長崎に留学し、その時の縁で曾祖母も長崎に嫁いだのだとは思う。
 下男を一人連れて嫁いだのだけど(ていうか下女を連れていくべきじゃない?)、離縁された。「あまりにも何もできなかったから帰された説」と、「あまりに気位が高すぎて帰された説」と「姑との折り合いが悪くて帰された説」とがあったけど、どれが本当かはわからない。とりあえず二人子供がいたのに離縁され、うちの祖父の父親と再婚した。
 以前「まんだん」というコーナーを持っていた時にも書いたので覚えている方もいらっしゃると思うが、母と祖母と私とで杵築城に行った時、祖母が「うちのおじいさんがここの藩士じゃった」というと、係のおじさんが「名前がわかればどこに住んでいたかわかりますよ」と言って当時の城下町の地図を出してきてくれたことがあり(矢野さんなんだけど矢野さん二人いて、墓に書かれた名前の最後に「吉」がつくのを覚えていたんだけど、どっちも「吉」だったので結局どっちか分からずじまい。おそらくこれも同族分家)、中津城に行けばもしかしたらわかるのかとも思ったけど、中津城は今もう当時の城主の子孫奥平氏が管理してない。資料も行けばあるかなとは思うんだけど、ない時の無駄足を思うととてもじゃないけどそれだけのためにはわざわざ行けない。
 奥平氏は藩主も家老も元をたどれば同じかとは思うんだけど、そもそも奥平家は徳川家康の正室の姫である亀姫が嫁いで家が継承された家で、ひょっとして私にも家康の血が一滴ぐらい入ってるかも、と思ったんだけど、まあ傍系の傍系の傍系だしなあ…。
 ちなみに曾祖母は「世が世なら姫と呼ばれる身分でありましたものを」と言っていたらしいのだが、それを影で嫁たちに「世が世なら生まれちょらんわ」と言われてたらしい。いや、大庄屋O川家自体金持ちだった(最初の嫁ぎ先が貧相に見えたぐらい)し、一応士族だし、それを差し引いても出戻りにも関わらず十歳下の十七歳の曽祖父をたらしこんだ(恋愛結婚で、ついでに言うとできちゃった結婚だった)美貌の人だったので、その母親を想像するにつけ、世が世でもありえたかもしれないよとは思うんだけど。
posted by きよら at 21:01| Comment(0) | 日記

2015年08月20日

ショートショート集「Sketah」に「colored paper」を更新しました

 またまた久々の更新です。
 玉置浩二コンサートツアー「故郷楽団」の奈良かしはら万葉ホールで歌をききながら頭の中で仕上げたものです。
「ふたり〜な〜ら〜あーいーがあーる〜♪」youtube上がってる昔のライブ映像も相当質高いよね。「ふたりなら」。あれでまたファン増えちゃうよ。

 15枚ないかな。
 設定そのものは以前滋賀に住んでいた時に安全地帯のセルフカバーアルバムを聴きながら作っていたものだけど、それに手を加えて仕上げました。
 背景は滋賀県の郊外。

 これを初稿書いてからネット上げるまで10日ほどかかって、間に終戦記念日がありましてね、優しかった祖父を残虐にさせた、戦争って恐ろしいというコメントを聴きながら、そうかなあ、などと思ったのだけど、戦争が恐ろしくないというわけではなく、一つの団体に入ればその団体のヒエラルキーと正義とに従ううちに平気になるんじゃないかなあ、などと思ったりした。
 たとえばテレビ局、なんて考えながら2004年6月に自殺した脚本家N氏のことが浮かんだりした。
 N氏のことでは解せぬことがあって、彼が自殺した後すぐにかけつけて葬儀の準備までしたのがフジテレビだったということ。
 フジテレビといえば、N氏が眠れる森で犯人当てドラマを企画し、氷の世界では公式ホームページ立ち上げて犯人当てに懸賞金までかけ、その氷の世界がフジテレビの該当ページで大バッシングにあい、月9木10と続いたのに、その後目立たない作品一つ担当した後、フジテレビとは袂を分かったのかと思うぐらい疎遠になってしまった。5年だっけ?
 今テレビドラマデータベースを見ても、氷の世界までの華々しい時間帯役者陣、スタッフが続いたのに、その次のが本当に結構な扱いで、氷の世界の失敗を全部押し付け、難しい所をあてがって視聴率とらせなかった挙げ句蹴り出した、という印象なんだよね。
 それがなぜか、五年疎遠だったのに自殺の報をきくやいなやーー誰だっけ、これが思い出せないんだけど、今のフジテレビの社長か、Oプロデューサーが、急いで野沢氏のところへ行ったとニュースできいた。
 なんか遺品に見られたら困るものでもあったのといぶかったほどで、どちらにせよ野沢氏はその後TBSからも声がかからなかったし、なんかテレビ局とあったんだろうなという印象だった。つまり、ヒエラルキーとその世界の正義の中に入ってしまえば、おそらくテレビマンってなんでもやって、役者や脚本家におしつけてでものしあがったんだろうな、みたいな。
 確かに私も氷の世界の私設ホームページ立ち上げたけど(なぜ立ち上げたかは彼の眠れる森と私が高校の時に書いた小説「霧中」を読んでいろいろ想像してほしいのだが)、あの作品は推理懸賞するにはあまりにもミスが多くて、中でも妊婦が沖から引き潮の海を人を殺して泳いで帰ってくるとかもうありえねーの世界だった。それ一つでもたいがいひどかったけど、他にも偶然が重なりすぎとか小道具が間違えてるとか、推理ファンを馬鹿にしてるよねと言われても仕方ないものだった。だからその直後に推理作家A氏がテレビで推理懸賞番組作ってたのもわかるような気がしたな。
 でもうちのホームページは一応私が管理してたので人格攻撃が入った場合は断り書き入れた上で削除してたはず。でも公式の方は放置だったようで(ようでというのはいつも混み合ってて初期の一回しか入れなかった)実際どんなことが書かれてたのかはよく知らない。
 で、誰だったかな〜N氏はネットで批判されたことを気に病んでいたようだと誰か脚本家がコメントしたんだけど、その時はその時で、あんた自分の脚本の中でNを揶揄してたやん、とは思ったものだった。
 が、自殺の真相は未だ闇の中。
 あの懸賞ドラマの争乱と責任全部とらされて蹴り出されたのが最初のきっかけじゃない?それといつばれるかわからないパクリとかいろいろ。
 誰がN氏を死なせたかーーと考えることはたやすいけれど、設定のミスをつかれてるのに反省の弁一つ述べず叩いたネット民の方を攻撃する彼の素質にも一因はあるんじゃないかとは思う。やはりテレビの世界にいるなら、歌が下手の大根だのちゃらいだのゴーストがいるだの植毛だのでっちあげ熱愛で売名に使われても厚かましく純愛を歌える福山雅治ぐらいの根性がないとね、ダメなんですよ。たぶん。
 N氏がもしけなされ蹴りだされたことを気に病んでいたとしても、発表した以上のものを出せば良かっただけ。でも、自死して道を絶ってしまった。それ以上でもそれ以下でもない。ヒエラルキーの軋轢の中で死んでいったかどうかなんて、それさえ誰にもわからない。それが、名誉ある「自決」だったのか、否か、誰にも。
posted by きよら at 00:03| 小説更新日記

2015年08月15日

安保法案は憲法9条に違憲か

 お盆休みに二連打。

 この前のブログで「教えて!ヒゲの隊長」へのつっこみパロディについて取り上げた報道ステーションのおかしな部分に突っ込みを入れたら「正義のミカタ」という番組でその部分はカットしていた。でもそのつっこみパロディの別の部分を紹介していて、昨今日本に砲撃しようとしている国を挙げて「中国」とし、中国は冷戦時代から日本に照準を――と、突っ込んでたんだけど、いやいや、それ、北朝鮮でしょ。北朝鮮。
 見ていて笑っちゃった。
 北朝鮮の場合、日本の方角に向けてテポドンとやらを発射した場合に、残念ながらその攻撃の照準はアメリカだったなら別に日本が攻撃されたわけじゃないから個別的自衛権は無理じゃないの。
 万が一その爆発能力が確かになった場合、先にそのテポドンとやらでっちどんやらわからない兵器が日本上空で炸裂することもあるかもしれない。そういう時の予防でなんとかするのが集団的自衛権じゃないのかい? 追撃ミサイルで撃ち落とすとかね。
 実は私もよくわからないんだけどさ。
 なんてたってテレビが報道してくれないし説明もしてくれないもんだから。
 ニュースなんてあちこち見てるけど未だにわかったというほど説明されたとは思えない。

 そんでその集団的自衛権が憲法9条に違反している、と、報道ステーションでまたまた古館一郎が言っていたので、古館一郎はちなみに憲法9条を読んだことがあるのだろうかと疑問に思い、改めて憲法9条を見てみたいと思う。
 実は私は何が「違憲」なのかよくわからない。
 本当にマスコミはちゃんと説明してほしい。
 私は専門が文学で高等学校の教師をしているので言葉の上で判断するのみで、おそらく予備校の国語の先生がやっても同じようになるんじゃないかと思うんだけど。
 では条文を見てみよう。
 
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 中学校の時に平和憲法として習った時は、この1項を習った記憶がさっぱりないんだよね。
 先生、授業でやったっけ?
 それで1項を丁寧に見るために、読点の位置から改行して書いてみましょうか。

A  日本国民は、
B  正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
C1 国権の発動たる戦争と、
C2 武力による威嚇または武力の行使は、
D  国際紛争を解決する手段としては、
E  永久にこれを放棄する。

 以前教育基本法でもやったことがあるんですけど、こうやってみるとわかりやすいでしょう。Aはいいですね、主格が「日本国民」。Bもいいでしょう、この条文の目的です。そしてこの文章の要点はEの「永久にこれを放棄する」にあるわけですが、「これ」の指示内容がC1とC2にあたるわけです。ただしこの文章はこのABCEのみで完結していれば、戦争と武力の放棄を全く持って完全に放棄しているわけですが、残念ながらDという必要条件節が入っている。
「国際紛争を解決する手段としては」
 つまり条件が付された限定文なわけです。
 「国際」とは何かというと三省堂国語辞典でひいてみると、「自国の中だけにとどまらず、他の国となんらかのかかわりを持つこと」。つまり国際という言葉には国と国との関わりが規定されているというわけですな。
 さらに「紛争」をひいてみると、「もめごと」の漢語的表現。「もめごと」をさらにひいてみると、「ごたごたした争い」「いざこざ」。
 まとめると、「国家間に起こったいざこざを解決する手段としては」ということなので、国家以外の敵は規定していない。
 これを規定しているなんて言っちゃった日には「主観を入れて文章は読んではいけません」なんて先生に怒られちゃいます。
 もしこれが文学的解釈を許す文言であるならば、言葉一つをキーワードとして他の文献から引用解釈も可能でしょうが、法律の文章というのはあまりそういう解釈を許すものじゃないんじゃないですかね。
 
 太平洋戦争後の段階で作成された文章ではあるけれども、さすがに山賊や海賊、テロを掃討するのに武力を持ってするな、なんて酷なことは規定していないし、するはずがない。また、他国に対して攻撃されて、うちがとばっちり受けそうだなんて時は紛争ではないからこれも規定外、他国がうちらも使う資源を手に入れるためにテロと戦わねばならないから手を貸してくれ、これももしかして国家間の紛争ではありません。しかも当事者はうちじゃないし。我が国に籍はありますが漁師が勝手にやったことです、国主導ではない、も国際紛争の対象外。
 この第1項の条件限定文を受けて第2項がある。

A  前項の目的を達するため、
B1 陸海空軍その他の戦力は、
B2 これを保持しない。
C1 国の交戦権は、
C2 これを認めない。

 第2項は当然ながら文冒頭にあるという位置関係から、常識的に一項全体を指していて、そういう場合にB陸海空軍は保持しないといっている。したがって自衛隊の存在もそれ以外なら許されるということになる。さらに構成から察するにAから枝分かれたCも、その場合にかぎって交戦権は認めないということになる。

 こんなこと憲法学者にお伺いを立てることなんだろうか。国語の問題じゃないんでしょうか。
 大学入学レベルの学力があれば普通にわかることじゃない?
 その私の判断は甘いのだろうか。

 まあねえ、でも、例えば、摂津・大和・河内の国で山賊が出るっていってるのにさ、たとえば摂津の国だけ金は出すけど人は出さないとか言って世間の話がとおるかってことなのよね。もっと小さくするとA町内会とB町内会とC町内会で火付けが頻発してるのにさ、A町内会だけが金は出すけど自警団は編成もせんし出しもしないと言ってるのと同じことなのよね。そしたらA町内会に火がつきました、周りはシラネって思うよね。それにおれっちは眠いの我慢して疲れた体を押して体張って町守ってるのにお前らはなんだ、みたいな。
 金だけ?なんだエラそうに。
 だいたいね、石油資源やその他の資源も中東他から安全に手に入れられるのも、テロ掃討のおかげだし、食糧を手に入れられるのも、ものが売れるのも、同盟国が均衡を保ち、うちらの足元見て値段をつりあげたり、うらなかったりしないところにあるのよね。
 それが軍備だけは嫌でございます、とか。無理じゃないかな。
 他の国の方には死んでいただいて、他の国の方には飢えていただいて、我々は平和と食料と便利な暮らしを享受させていただきましょう。
 いいの、アメリカ人やイギリス人は死んでも。うちらはダメ。でも石油はちゃんと分けていただかなくっちゃ。でないと電気つかないし車動かないし暑いし。
 私はあの安保法案反対といっている人の顔には、そう書いているように見える。とりあえずその論理は国家間の紛争のみではなくなった今の時代ではもうまかり通らないから、反対をいうなら対案を出してほしい。
 日本という国は戦争をしなくてもその豊かさでたくさんの人を死に追いやっている。地球上の一日の飢餓人口は東日本大震災での死者数より多いというが、我々が食糧を買い漁るために、現地に食糧が残らず飢餓や貧困の元になっている国もたくさんある。
 ファストファッションは女工哀史なみの賃金で東南アジアの少女たちに労働させて成り立つ額だとも言われている。
 そういう我が国がはらんでいるさまざまな矛盾を無視して、とりあえず武力では人を殺すなというのは、どうしても私にはエセ正義にしか見えない。
 平和と飽食の影で死んでいく人は、武器で殺しているわけではないし我が国の人は死なないからいいという、暗にそんなことを言ったような、あの反戦の主張はどうも受け入れられない。
 まあだからといって、これで他国の平和をおびやかそうとも、憲法9条には違反してないけどね。ただ、平和ってなんだろうとか思っちゃうよね。憲法の前文にしても。
 教え子は戦場に送ってはいけなくても、アメリカ人は送っていいのかい。
 そりゃどっちも送らないに越したことはなかろう。
 でもこのいろんなものを犠牲にした平和の中で生活を成り立たせている以上、我らだけ武力を費やすことは逃れたいというのは、話が通らないと思う。
posted by きよら at 00:42| 日記

2015年08月02日

「徴兵制」を空想してみた

 暑いですね〜。もう外は立ってるだけで暑いですよ、昨日今日。
 終戦70年を前にして「徴兵」なる言葉が世間で踊っている。
 子供を戦場に送るな?
 ということで酷暑の中での訓練を考えてみた。

 熱帯雨林を想定した山の中の行軍訓練。
「あっつーい、アクエリないの、アクエリ」「ポカリでもいいよ。」
「おーい、自動販売機ないのかよお。」「あっても買ったらダメだとよ。」
「そこっ、うるさい。黙って歩け。敵に気付かれたらどうする!」
「うっせーな、俺らの親の税金で給料もらってんだろ。エラそうな口たたくなよ。」
「何? 訓練中だ! 実戦に備えて行っているものを」
「おーい、この兄ちゃんどうする、みんなでしめる?」
「おい、ちょっと待て、○○が倒れたっ!」「ええっ!?」「熱中症か?」
「○○帰宅部だもんなあ。そりゃ倒れるのも無理ないわ。」
「休憩、休憩、停止してよ、停止。はー、○○のおかげで休める〜。」
「ちょうラインでさあ、▽▽が今どこにいるか教えて、だってよ−。えー、第四分隊は−。」

 とりあえず徴兵制なるものをしくにはですね、もう一回一億総農家の子どもに戻る。
 子供のころから農業をしていたあの肉体に回帰し、車や電車、冷房なんて満足にない時代に戻る。さらにお上に絶対服従の精神を取り戻し、学校や官公庁に文句言うような奴からして叩き直す。精神から作り直さないとダメですな。
 そうなってくると江戸時代には推奨された儒教精神を学校教材の中に取り入れないといけないって話になるんでしょうかね。韓国なんかそういう教育は学校じゃなくてもしてるもんね。
 もう一つ問題なのが、指導者の方が服従心の強い集団以外の人間を、鉄拳制裁をお見舞いしてでも統率しようという精神力が必要になるんだけど(しかし実際鉄拳制裁をお見舞いすると、マスコミの餌食に…)、そもそもそういう無頼どもを武器や給与・昇進・配属で抑え込めないのに、気力迫力だけでできる強い人物がどれだけいるかという話で、さらに東南アジアや中東あたりにいくと必要なのが、大量のワクチン。ちょっとしただけで感染するし子供のころから耐性がないので万が一のことを考えて全部打っていかないといけない。
 結論。無理。
 だいたいね、政府もそんなこと期待してるかというとね、期待してないと思うの。今の高校生って毎日見てるけど、ひょろっとして幼くて、すぐ熱出すしお腹痛くなるし学校休むし、それが十歳年をとって何か変わるかというと大して変わってないし。
 結局志願した人たち、つまり軍を想定してあの集団的自衛権なるものがあると思うのね。
 で、そもそも先の大戦の終戦に至るまで、なんで日本の徴兵が可能だったかというと、それだけ自然と皆鍛えられていたからだし、なんのことはない、江戸時代から脈々と続くお上に対する従属意識というのが非常に高かったというのがあるのよね。だからそれなりの税金を払えないなら体ではらえ、さらに上のいうことはきけというのが常識としてまかり通る精神風土があった。口答えしたらぶん殴られても仕方がないのが戦前。一人おかせば村八分にされるのが戦前。
 果たして精神構造も学力も全く違う現代にあって、徴兵制が可能かと。私は無理だと思う。精神構造からやり直すのに3〜40年はかかる…3〜40年でできたらいいけど、なんか絶望的な気がする。
 
 もう一つ戦前戦中の軍のああいう気風(例をあげるなら、「貴様それでも武士か!」とか、敵に捕らえられるなら自決する、みたいな)を作ったのが軍の人員の多くをしめた士族階級なわけで。要するにじいさんあたりまでたどるとれっきとした武士という。
 明治政府が国防を考えるにあたり、軍をどういうメンバーで構成するかでは一つもめた経歴がある。プロ集団の軍を創設するか、徴兵である程度民間人からまかなうか。
 士族階級としては自分たちの特権意識が失われるのでプロ集団の軍を創設することを期待したとものの本には書いてあった。ところが政府は民間人から大量に兵を徴用することになったと。まあ予算の問題もあったんでしょう。そこで士族階級の不平不満はたまっていき解消されないまま時を経、ようやく日本がいくつかの戦争に突入すると、それで軍にいた士族たちと徴兵された不満分子は面目躍如として軍の中で亡霊のごとく武士道を奮い起こして活躍し始めることになる。
 これが終戦とともに800年続いた武士の滅亡となるのだが、今の日本にはそういう精神的な背景がまるでない。無理にでも押し通す力、いざとなったら命を賭してでも戦う根性。あるいは、戦わせる根性。

 「教え子たちを戦争に送るな」とか日教組も言ってるんだけどさ、無理でしょ。
 体のつくりと精神的な背景がまるで違うのに。はっきりいって自衛隊に民間人あがりの2年ぐらいしか訓練してない連中がいっても使えないわ。日常生活からして全然違うもの。
 弾が飛んできたら逃げるか、怖くて自分で死ぬか、卒倒して意識不明の大重体になるわ。
 「お腹が痛いので明日行軍休みます。」
 明治以降終戦までの精神的な歴史と、状況を考慮して、徴兵制とか言ってる人たちはもっと考えてほしいわけね。一瞬テレビで有識者たちが立ち上がったとかいうの見て、「この人たち本当に有識者かい?一回日本の子どもと直に会って話した方がよくない?明治以降の精神史も勉強した方がいいべ」と思ったわさ。
 冷房のよくきいた家の中でテレビ見ながらゲームするように戦争ができるなら別だけどね、そうとばかりもいかないでしょう。

 *安全保障に関する法案が、戦争法案なるものという主張にのっての話です、念のため。
posted by きよら at 18:02| 日記

2015年07月28日

なんだ今の報道ステーション

なんだ、今の報道ステーション。
なんか自民党の集団的自衛権について説明したアニメのパロディを紹介してたんだけど、そのパロディの中で自衛隊の緊急出動が10年前の7倍になっているということで、そこになんで一番少ないときと比較するんだよと。
ちなみに今と同一レベルは1965年頃。
さらに報道ステーションではそのツッコミをしてるあかりちゃんにゲストに来ていただきたいと。
緊急出動は日本の総計であって沖縄地方だけとは言えないと思う。
…あのね、1965年ってまだ冷戦時代だよね。終戦、朝鮮戦争ときて…うーん、はやい話、今の緊急出動はその当時ぐらい多いってことなんだけど。それはかえってやばいってことじゃないのか。戦後二十年の、近隣国で戦争やってる時と同レベルってことだよ。
ねえ、その指摘がないのって素人ならともかく報道番組ができないってどうなの。
私は1965年当時と同じだけに危険が増してるってことにあらためて驚きなんだけど。
だってもう70年安保で日本がアメリカとの関係で得ていたはずの安全が無効になっているって証明されたようなもんでしょ。アメリカなんていたってもう中国には意味ないんじゃん。だって日本国内の我々にとっても信用できないし、アメリカ。中国だっていざ攻撃した時、アメリカは場合によっては手出ししないとにらんでないとはいえない。

私は報道ステーションに一回質問してみたいことがあるんだよね。共産党にも。
日本をつぶすに武器は要らない、石油か食料輸入をとめればいい。中国が本気だして軍艦で囲む。攻撃しない以上はアメリカも手出ししない。
その時どうやって日本の国内の秩序と安全を守るのだろうか。そして、当然その危機はどうやって回避するのか。
同盟国とはただ同盟を結んでおけばこと足れりなんですかねえ。私はまだこの集団的自衛権の必要性については言及する気はないんだけどさ、このネタについて話する時の共産党やテレ朝やTBSに対していつもその「日本に来るべき危機」についての疑問が頭をもたげる。
でも今日報道ステーション見ていて、なんかろくな答えが出てこないんじゃないかと思えてきた。
一票の格差で地方の議員を減らしましょう、積極的になってるの左派で、地方を大事にして食料自給率を増やすどころか横ばいにしようなんて姿勢はみられんもんね。現況考えたらそんな格差なんて無視してむしろ増やしていいぐらいだとは思うんだけど。
彼らは一体どこを見ているんでしょうね、日本の未来の。
posted by きよら at 22:59| 日記